文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

ぼくの精神病院入院日記  その3

4月の終わりごろから2か月半ほど、精神病院に入院してました。

入院理由は、ストレスによる心因性の過剰水分摂取による水中毒でした。

入院中に暇つぶしに書いた日記を、忘備録として載せます。

 ※以下出てくる人名は、当然ながらすべて仮名です。

ぼくの精神病院入院日記 その1

ぼくの精神病院入院日記  その2

 

5月9日

・OT(作業療法)で映画「マクロス 愛・おぼえていますか」を観た。

この世代のおっさんからのリクエストらしい。

作業療法士さんに「マクロスなんて、おばあちゃんは観れんでしょ」と言ったが、「いろんな映画を見せるから、まぁ、大丈夫」とのこと。

で、実際に流してみると、案の定、おばあちゃんたちはポカーンとして脱落して寝てた。その中で、一人だけ最後まで観てたおばあちゃんがいた。エライ

・別の部屋にいたA木さん(40代前半)が、うちの部屋に移動してきた。なんでも「部屋で歌うのがやめられずに」クレームがついて、この部屋に移動してきたらしい。歌うのがやめられないって、へんな病状だな。というか、なぜこの部屋にうるさい人が集まってくるのか…。

A木さんは、勤めていた会社をメンタルやられて辞めて自分で会社をやっているそうだが(40そこそこで社長はすごいな)、会社が火の車らしい。財務整理で疲れて入院したという。入院1か月とのこと。

「よろしく」と挨拶されたが、正直歌うのはやめてほしいと思った。落ち着かない病状は理解できるが。

A木さんは看護師さんに「もう寝てなさい、これ以上騒ぐと拘束になっちゃうよ」と言われ、「注射はいやだー、注射はいやだー」と歌いながら横になっていた。

やっと点滴がとれた。5か目。やったー。

なので風呂に入れることになった。A木さんと風呂でいっしょになり、入院した経緯などを話した。

売店に買い物に行くために外出した。2度目の外出。

外出はまだひとりでできず、看護師さんのつきそいが必要だ。なので別の男性K田さんもいっしょに売店に行くという。K田さんのリクエストで、中庭グラウンドを1周回った。この病院には中庭グラウンドがあり、晴れている日はそこで散歩ができるのだ。

建物の外に出て(まだ院内だけど)歩くのは14日ぶりだ。

歩きながらナースさん(男性)に、「この仕事やって何年ですか?」ときくと、「4年目。准看護師は5年やった」とのこと。「大変ですか」ときくと、「まぁ、楽な仕事ではないですよね。楽な仕事はないでしょうから」とのこと。

5月10日

・晴れといっていたのに、朝から雨。しかも37.5℃の微熱が出た。父が見舞いに来る日だったが、雨で来ないとのこと。

見舞いがないので、将棋おばちゃんと午後、将棋さしてたら、父が見舞いに来た。「晴れたから来た」とのこと。将棋中だったので、父を病室に先に行かせて1時間も待たしてしまった。

・父の見舞い。鼻毛切り(はさみ。院内には持ち込みが厳しい)を持って来てもらって、3週間ぶりに鼻毛を切り、眉毛をそろえる。

その後持って来てもらったフルーツゼリーを食べ、2人でグラウンドに行き、何周か歩く。貴重な運動の時間だ。(まだ一人での外出はできないので)

4年ほど前、父がうつ病でこの病院に入院したことがある。そのとき私がつきそいで、一緒にこのグラウンドを散歩した。そのときはまさか、立場が逆になってここをまた歩くとは思わなかった。

・今日、先生の回診だということなので、10日ぶり(あいだにGWを挟んだので、長く空いてしまったのだ)に主治医の先生とお話しできると思ったら、初めての先生だった。回診は週に1回で、主治医とは違う先生がやるらしい。

「もう、外(院内のグラウンド)に一人で出てもいいですか?」ときいたら、

「水飲むかもしれないからダメ」とのこと。

「ラジオ持ち込んでもいいですか?」「主治医の先生にきいて」

主治医がいないと何も発展しない…。

入院して3週目、1か月くらいで退院できるかと思っていたが、それはどうやら無理っぽい。これ以上入院が長引くのか、と思うと憂鬱になった。

主治医の診察が今日あると、昨日きいたのだが、先生は結局来なかった。主治医が来ないせいで、入院が長引いているような気がする。

しかし、「水飲むかもしれない」と医者に言われると、本当に水飲みたくなる。まだ1日500mlまでなので、喉がかわいて仕方ないし。

・同室のA木さんが私の事を「田島さん」と間違って呼んでいたのだが、ついに私の名前を間違えずに呼ぶようになった。

A木さんはご両親がお見舞いにいらっしゃって、「税務署がどうこう」「破産がどうこう」などという話をしていて、やはり会社の経営は厳しいのだな、そりゃメンタルyられるわ、と思った。

・同室の拘束されたO木さんが、どっか別の病院に移った。ここでは治療しきれないらしい。うるさいのが一人減ってうれしいけど。

・目薬おばあちゃんという車椅子のおばあちゃんがいる。昼飯どきに、目薬さしてもらいたいのだが、目薬は朝晩の2回しかさせないので、「目薬指して。目薬指して」と連呼しながら眼を掻いてしまうので、指なし手袋されて手を拘束されてしまう。拘束されると「目薬させないのは不幸だ、目薬させないのは不幸だ」と連呼するので、不気味。

クロスワードパズルで、「『山の頂がつらなっている』って2文字で何?」とおっさんにきかれたので「『尾根』じゃないですか?」と答えた。

しばらくして「あれ、もしかして『尾瀬』じゃなかったか?」と思ったが、正解は尾根だった。

・新聞を病院に配達してもらってるおじさんがいる(もちろん自分の金で)。わざわざそんなことしてるのか(&こんなことできるのか)と感心した。しかも、読んだ新聞は、食堂に置いて誰でも読めるようにしてくれる。私は(他にすることがないので)よくこの新聞を読んでいる。

「このおじさんはきっと聡明なんだろうなぁ、新聞読んでいるから(あまりここで新聞読んでいる人はいないので)」と思っていた。

しかし今日ナースセンターで「病院早引けします」とおじさん、ナースさんが「ここは病院で、あなたは入院中なのだから、家には帰れません」というやりとりを見て、「ああ、やはりここは病院だなぁ、ここに居る人は調子悪いなぁ…」とあらためて感じた。

新聞を読めることと病状は関係ないらしい。

5月11日

・今朝は、ここに来て初めて3時間少し眠れた。今まで眠れても1時間半、多くは一睡もできなかったのに。昨日、父とグラウンドを散歩したのがよかったのだろう。

今朝方、「キム・ジョンウンクロスワードパズルする夢」を見た。南北首脳会談のニュースを連日観ていたことと、昨日OTでクロスワードパズルやっている人がいたから、見た夢だろう。

キム・ジョンウンクロスワードパズルで「ひらのあや」というミュージシャンの名前(声優の平野綾か。なぜかミュージシャンだと夢の中では思った)は書けていたが、「いつも」はわからずに私が教えてあげた。

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・先生がやってきて、調子いいので週末に外泊できると思うとのこと。週末(土日)ってあさってだけど。やった!

・同室の、自殺未遂入院の人が今日退院するらしい。私よりあとに入院してきたはずだけど。早いな。 退院うらやましい。

・OTでナンプレをやった。平日はOT(作業療法)があってなんだかんだヒマつぶしできる。休日はつまんないテレビでなんとかヒマつぶすしかない。

・昼飯時、看護実習生さんと少し話をした。大学4年生でここが実習4回目とのこと(実習は3年の後半からある)。ここではやってないが、メンタルでなく他の科の病院だと身体介助もやっていたそうだ。メンタルじゃ介助患者はそんなにいないからね。

・風呂に入ったら、女性実習生も風呂に入ってきた。実習生は1人の患者に付きっきりなので、その患者おっさんが風呂に入ったのだ。実習生は、そのおっさんや私がちんこ洗ってるのを見ながら、てきとーに世間話をしていた。

看護実習生にちんこ洗ってるの見られても当然ながら興奮なんてしない。むしろ見せつけたらどうなるのだろうとも思ったが、もちろんどーにもならないだろう。

・女性ナースさんとグラウンドを散歩。「疲れたー。暖かいからもう働くのメンドイ」と愚痴ってた。「2部屋(12人分)の患者記録を書かないといけないからおわんねー」とのこと。「大変ですねー」と私。女性とこーゆーどうでもいい会話をするのは久しぶりだ。

・アイスの許可が医師からおりたので、バニラ味の「クーリッシュ」を売店で買って食べた。半月ぶりのアイスクリ-ム。うんまい! と思わず声が出た。

f:id:akihiko810:20180727172843p:plain めっちゃうまかった

 ・夜9時に、主治医先生の仕事がひと段落したとのことで面談をした。先生と面談するのは12日ぶりくらいだ。いくらGWをはさんでいたとはいえ時間かかりすぎ。

先生は、9時に面会が終わったらやっと夕飯とのこと。激務だ…ご苦労様です。

面談の内容は、エビリファイという薬が朝夕2度に増えて、様子みてよかったら、来週末に外泊可からの任意入院にきりかえという流れとのこと。

来週末かい…。今週末(あさって)に外泊だと思って今日1日すごしてきたので、なんか緊張の糸がぷっつり切れた感じがした…。

退院のめどがつきそうなのはうれしいが、閉鎖病棟にいるのはもううんざりする。早く帰りたい。

普段夜はおかしを食べないのだが、ストレス解消の為ポテチとチョコをドカ食いして寝た。

 

ぼくの精神病院入院日記 続きます(たぶん)

若手歌人たち ~『桜前線開架宣言』山田航

山田航『桜前線開架宣言』という短歌アンソロジー本を読んだ。

桜前線開架宣言

桜前線開架宣言

 

 副題に「Born after 1970 現代短歌日本代表」とあるように、70年代以降生まれの若手歌人40人の歌を集めたものだ。

1人あたり50首以上載っているので、現代歌人にふれる入門編としてはかなりボリュームのある本である。

いくつか心に残った歌人と短歌をここで紹介したい

 

中澤系

70年生まれ。早稲田大哲学科卒。副腎白質ジストロフィーという難病に侵され、09年没。

 3番線快速電車が通過します理解できない人はさがって

 いや死だよぼくたちの手に渡されたものはたしかに癒しではなく

 ぼくの死でない死はある日指先に染み入るおろし生姜のにおい

 秩序 そう今日だって君は右足と左足を使って歩いたじゃん

 ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ

 

今橋愛

76年生まれ。現代短歌ではほぼ禁じ手とされがちな多行書きやチラし書きを採用する。ひらがなを多用しての、生々しい女性のしゃべり言葉を基本的な文体とする。

 もちあげたりもどされたりする

 せんぷうき

 強でまわってる

 

 つかいおわるまでこのへやにいるかしら

 三十枚入りすみれこっとん

 

 くもがねー

 ちぎれて足跡のようだよ。

 こんとんをどけたあとがみたいの。

 

岡崎裕美子

76年生まれ。性愛短歌を得意とする女性歌人のひとり

 したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ

 こじあけてみたらからっぽだったわれ 飛び散らないから轢いちゃえよ電車

 それなのにだんだん濡れてくるからだ割れた果実が滲むみたいに

 見つめあってするのが好きになっている キセル乗車の数だけ会った

 その人を愛しているのか問われぬようごくごくごく水、水ばかり飲む

 

兵庫ユカ

76年生まれ。

 まよなかのメロンは苦い さみしさをことばにすれば暴力になる

 でもこれはわたしの喉だ赤いけど痛いかどうかはじぶんで決める

 すきという嘘はつかない裸足でも裸でもこの孤塁を守る

 ナイフなど持ち慣れてない友達に切られた傷の緑、真緑

 

平岡直子

84年生まれ。

 海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した

 心臓と心のあいだにいるはつかねずみがおもしろいほどすぐに死ぬ

 怪獣は横断歩道に逃げ出しておやすみ一緒に幸福しよう

 自転車は朽ちていくのか夕焼けに包まれながら眼ももたず

 

野口あや子

87年生まれ。

 ゼリー状になったあなたを抱きかかえ しんじつから目をそむけませんか

 窓ぎわにあかいタチアオイ見えていてそこにしか触れないなんてよわむし

 えいきゅうにしなないにんげんどうですか。電信柱の芯に尋ねる

 知らぬ間に汚れてしまった指先をジーンズで拭う 非常階段

 わたしたち戦う意味は知らないし花火を綺麗と思ってしまう

 

他にもいい歌、歌人は多いが、長くなるのでここまで。

私も短歌はじめてみたくなった。

みなもと太郎『マンガの歴史』 トキワ荘と劇画の時代

 『風雲児たち』で有名なみなもと太郎

歴史に詳しいだけでなく昭和の漫画史にも詳しいとのことで、

 『マンガの歴史 1』という本

岩崎調べる学習新書 (1) マンガの歴史 1

岩崎調べる学習新書 (1) マンガの歴史 1

 

 を出しているのだが、これはかなり面白かった。

戦前のマンガ ~赤本マンガと手塚治虫新宝島』~貸本マンガと雑誌『漫画少年

トキワ荘 ~劇画 ~少女漫画と水野英子 ~週刊少年マンガ雑誌の登場

といった順で昭和漫画史を網羅した、「漫画界の風雲児たちといえる本である。

この記事では、《貸本マンガと雑誌『漫画少年』~トキワ荘 ~劇画》について解説したい。

マンガの歴史はトキワ荘だけじゃないぞ!ということがありありと書かれている。

まず1946年、赤本マンガ(駄菓子屋や露店で売られていた粗末な本)という形式で手塚治虫新宝島を発表。ほぼ初めてのストーリー漫画で衝撃を与える。

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この大ヒットにより赤本マンガが増えただけでなく、戦後復興とあいまって本も豪華になり、貸本マンガが出てくる。

3年後の1950年、手塚は初めて「漫画雑誌連載」をスタート。この雑誌というのが学童社漫画少年であり、連載作が『ジャングル大帝』だった。

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ジャングル大帝』で一躍国民漫画家となった手塚は、兵庫住みだと不便なので上京する。

漫画少年』には創刊初期から「読者の投稿コーナー」があり、ここに投稿していた有能な青年たちを、出版社は手塚の住むトキワ荘に呼び寄せた。

これがトキワ荘メンバーのはじまり。

手塚がトキワ荘に入居したのが53年、藤子不二雄が54年、石ノ森と赤塚が56年。最後まで残っていた山内ジョージが出ていくのが62年なので、10年程続いたことになる。

トキワ荘メンバーの作風は、絵柄も内容も子供向け漫画だということ。手塚の影響だ。

その一方、53年ごろから貸本漫画ブームが到来する。人口の多い「団塊の世代」の人たちがマンガを読む年齢になったので、需要が急速に増えていったのだ。

供給する漫画家が足りないので、紙芝居作家にマンガを依頼する。

水木しげる小島剛夕白土三平といった今や大御所(亡くなった人も多いが)がその代表格。

 f:id:akihiko810:20180630115525p:plain 水木の貸本マンガ

貸本マンガは57年ごろにピークを迎える。この貸本マンガから生まれ、のちの漫画界に多大な影響をあたえたのが、劇画である。

貸本マンガ出版社の西の雄・日の丸文庫に発表していた、さいとう・たかを松本正彦辰巳ヨシヒロ佐藤まさあきらが劇画漫画創出の代表格。

面白いのは、彼らもまた手塚『新宝島』に衝撃をうけ、『漫画少年』にマンガを投稿していたこと。さいとう・たかをは『漫画少年』に掲載されたが、投稿作を選者に酷評されたという。

しかし彼らはトキワ荘には行かなかった。

関西在住であったこと。トキワ荘メンバーとは絵柄が違ったこと。そして何より、子供向けマンガから脱却し、大人向けマンガを描きたかったこと。

だから彼らは、ブームになりつつあった貸本マンガの道に活路を求めた。

日の丸文庫顧問で漫画家でもある久呂田まさみが、こういった漫画家を集めて漫画短編集シリーズ『影』を56年に創刊、これが大きくヒットし、瞬く間に劇画漫画が広がっていく。

日の丸文庫が事業を拡げ一時倒産し原稿料が支払われなかったため、久呂田は別の出版社から、漫画家はほとんど同じで、別の漫画短編集シリーズ『街』を作ったりもした)

f:id:akihiko810:20180702114330j:plain『影』『街』の復刊版

劇画が広がった要因には、今まで大人向けの漫画がほとんど出ていなかったことがあげられる。「漫画は子供のもの」とみなされていたが、手塚『新宝島』から10年、当時『新宝島』に衝撃をうけた子供たちが二十歳前後になったので、「大人向けの漫画」というのが実は需要があったのだ。そうした需要に貸本マンガはぴったりとはまったのだ。

 そういうわけで50年代後半に貸本マンガはピークを迎えるが、60年にさしかかると、テレビの普及により娯楽で負け、そしてもうひとつは大手出版社(小学館講談社)が週刊少年マンガ誌を刊行し、貸本はそれに物量・流通面では太刀打ちできず、急速に貸本マンガは衰退していった。

ただし劇画はのちの漫画界にも影響を与え続け、特に講談社の『少年マガジン』が「子供向けの少年サンデー」に対抗するため読者の対象年連を学生層へとあげたため、特にマガジンでは劇画調の漫画が多かった。

例えば、『巨人の星』は大人向けの骨太なヒューマンドラマにするために、(当時は売れてなかったが)作家の梶原一騎原作に、劇画漫画家の川崎のぼるーー川崎は野球のルールを知らないので一度断ったのだが、それでも「さいとうたかをの弟子で、劇画だから」という理由で起用されたーーで、初めて少年マンガで本格的な劇画を展開した。

 

このあたりのことはウィキペディアにも詳しいが、

トキワ荘 - Wikipedia

劇画 - Wikipedia

私は「トキワ荘の時代」と「劇画の時代」を、本を読んでなんとなく知っていたが、その2つが完全に時期として重なるとは知らなかった。

最後に、この時代をかいたマンガを紹介して終わる。

トキワ荘の時代」は、有名な藤子Aのまんが道

 「劇画の時代」は劇画漫画家の松本正彦『劇画バカたち!!』

劇画バカたち!!

劇画バカたち!!

 

 2作読めば昭和の漫画界がどういうものだったのか、ということを知ることができるだろう。<了>

ぼくの精神病院入院日記  その2

4月の終わりごろから2か月半ほど、精神病院に入院してました。

入院理由は、ストレスによる心因性の過剰水分摂取による水中毒でした。

入院中に暇つぶしに書いた日記を、忘備録として載せます。

 ※以下出てくる人名は、当然ながらすべて仮名です。

 

ぼくの精神病院入院日記 1  つづき

4月某日~5月のあたま

・日がたつにつれて、意識がだんだんとクリアになってきた。(入院から8日目くらいだろうか)  これまでは少しぼーっとしたり、熱で頭が回らなかった。

運動せずに寝てばかりなので、夜はまったく眠れない。だから9時半消灯から翌6時起床まで、何もせずに目をつむっているしかない。

・病室は6人部屋で、6人全員が埋まった。暇つぶしに、部屋の他の患者さんがナースさんと話している時に聞き耳を立てる。他にすることがないので、これが唯一の娯楽である。

病室は私の他に、同年代の男性(そりゃ男性病室だからな)4人と、いろいろ管につながれた細い爺さん1人。

Mさんは、色々と不安があって衝動的に薬を多飲しての自殺未遂。中学の時以来2度目の自殺未遂で、ゴールデンウィーク安室奈美恵のコンサートをひかえていて、病院に運ばれて「ものすごい後悔してる」という。

Nさんは、「歩道橋からおりた」かららしい。おりた、というからに飛び降りたか落ちたのだろうか。足痛めているらしいし。

しばらくして入ってきたのが「痩せ細った爺さん」。夜になると「死ぬー死ぬー」とうるさい。痰がからむようだ。爺さんのお見舞いに来た人が、「法華経を唱えればよくなるから」と言っていた。

その後入ってきたのが、ガチガチに拘束されてる太った人。O木さん。

以前ここに入院していて、他の病院から再度ここに入院してきたらしい。太ってるのに、ナースさんたちが「しばらくだねー。かなり痩せたねぇー」と言う。どんだけ太ってたんだ。

O木さんは全くしゃべらず「ウゥーマン、ウゥーーマン、マンマー、マンマー」という意味不明な発声しかしない。意識が混濁してるのか。お母さんがよく見舞いに来るが、息子のこういう拘束された姿をみるのはやるせないだろう。

・点滴も取れて、尿カテーテルも取れた。自由に動けるようになると、テレビのある食堂(デイルーム)に行けるようになる。

食堂に行ったり、他の病室がどうなってるのか少しわかるようになると、ここはつくづく「精神病院」なのだなと思う。

隣の病室には「も・う・いやだー。きえろ、きえろー!」と幻聴と戦って独り言を怒鳴っている、統合失調症らしきおじさん。

延々と「このやろー!」「またやるのか!」と独り言を怒鳴っている車椅子のおじいさん(やはり統失なのだろうか)。

「もうこんなところ嫌!帰るぅ!」と夜9時に泣くおばあさん。

夜になると泣き出す若い女性。 一度彼女が「私だって!子供一人産んだのに!」と大声で泣き出した。すると隣でTVを観ていたおじさんが、

「また泣いてるよ。世の中の人間てのは皆死にたいと思いながら生きてて、夜はTVみてるんだよ。でも大人だから泣かないんだよ」と私に言ってきた。

私は「いや、大人が皆死にたいと思いながら生きているのなら、辛くて入院してる我々の方が《正常》なのでは?」と思った。

 ・人の集まりなのである以上、食堂ではたまにトラブルがある。皆TVを観ることしかないからか、TVがらみのトラブルが多い。

「そこにいるとTVが見えない。正面からどいてよ」

「おい!何で俺が注意されなきゃいけないんだ!椅子ははじめからここにあったんだ、お前が横にくればいいだろ!」

というおっさん同士のやりとり、

「私がトイレ行ってる間にチャンネル変えたんだから、チャンネル戻すわよ」

「勝手に!チャンネル変えるんじゃねえよ!」

とおばさんとおっさんのケンカ。さすがに言い争いだけで、殴り合いになるケンカはなかったけど。

こういうのをなだめるのも看護師さんの仕事だ。大変だ。

・病院なので飯はまずい。魚はほぼ毎日出る。酢の物が3日連続で出たときはさすがに殺意が湧いた。2週に1度くらい出るカレーのときだけが至福だ。(とはいえ、カレーも冷めてて決して「美味い」もんではないのだ…)

しかし慣れとは恐ろしいもので、このまずい飯にも5日ほどすれば慣れてしまう。ポイントはどの料理にも醤油をかけて、しょっぱくすることである。そうすればとりあえず醤油味になるので、ご飯といっしょに食える。

やはり皆不味いのか、ふりかけを持ち込んでる人は何人かいた。

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・食堂で、お菓子をジジイに盗まれそうになった。お菓子をテーブルに置いて電話していたら、ジジイが私のお菓子袋からチョコパイをあさっていたのだ。

その日、母が見舞いに来たのでこの話をすると、このジジイは、父がこの病院に入院していた4年前にも入院していたという。4年選手なのかよ。ずいぶん長い入院だ…

・病室の「細い爺さん」が摘便されていた。終始「いてぇーいてぇー」と言っていた。やっぱり痛いのか… 

ドMの人なら若い女性看護師に摘便されるのはフェチプレイの感覚なのだろうか?俺は無理だ

・夕食後の検温で、38.9℃の高熱が出た。さすがに高い。すぐにベッドに横になり、両腕から2本血液検査され、また点滴を打たれた。

右腕に点滴をされていたのだが、何日かたったら点滴が中で漏れて、手の甲がパンパンになってしまった。熱は3日で下がった。

・入院してもう2週間ほどになるが、意識を取り戻してから昨夜初めて寝ることができた。今まで眠剤を飲んでも一睡もできなかった。いや、正確には10分ほどしか眠れない。1日中ほとんどをベッドにいるので、疲れないから眠れないのだ。

そんな中、昨日は1時間ほど眠れた。よく覚えてないが夢もみた。ただし悪夢だ。たとえ悪夢でも夢を見れるくらい眠れたのはうれしい。

もっと強い眠剤を処方してほしい。じゃないと寝不足で倒れてしまうのではないだろうかと心配だ。

・入院して唯一よかったことは、この病棟には大風呂があることで、週2回この大風呂に入れることである。これは心の底からうれしかった。

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初めて風呂に入ったのは、10日ぶりの入浴で、まだ歩けないので看護師さんの介助つき。入浴したときは生き返るような気がした。

2度目の入浴の時は、点滴を打ってたので、着替え介助(看護師さんが着替えを手伝ってくれる)の入浴。 さぁ、風呂を楽しもうと思って体を洗っていたら、他の介助入浴者がうんこもらしたのか臭いが充満した。それでも窓を開けて、30分ほど熱い湯につかって大風呂を堪能した。

介助なくひとりで風呂に入れるようになると、平日は毎日風呂に入れるようになる。

・おばちゃんがよく将棋をやっているので、声をかけたら将棋することになった(以下、将棋おばちゃん)。このおばちゃんを中心に、将棋できる人が何人もいて、ほぼ毎日将棋指すことになった。将棋は私が一番強く、病棟名人になった。

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 将棋おばちゃんは、うつによる重度不眠で入院してるといった(一睡もできないらしい)。自律神経の副交感神経の働きが強すぎるらしい。

入院形態は比較的自由がきく「任意入院」らしかった。

・50代のおじさん、K川さんが私に話しかけてきた。統合失調症を患っていて、医療保護入院(緊急性がない入院。検査もかねての入院らしい)で、もう4度目の入院だという。

K川さんが言うには、この病棟にはもう15年入院している患者もいるという。あのドロボージジイだろうか。

K川さんは20代の頃働きまくって6千万稼いだこと、(おそらく結婚してないので)姉が見舞いに来ること、クリスチャンでプロテスタントであることなどを私に語った。

ただ、K川さんはゴシップ的に私の事に興味があったようで、私の仕事の事や入院理由などをきいてきた。特には話したくない事だったが、まあここ(病院)を出れば接点もないので、と話した。(以降K川さんとは、時間があればたまに話す仲になる)

 ・平日昼間、OT(作業療法)で週に何度かカラオケ会がある。食堂で参加者10人がくらいが歌うのだ。私はカラオケの類は人の歌をきくのが嫌いなので参加しない。若い人が歌ってるのはどうでもいいか、なぜかお婆ちゃんが演歌を歌ってるのは、たとえ下手でも(というか下手だが)愛嬌があっていい。

f:id:akihiko810:20180629152807p:plain 採点つきのカラオケ機だった

5月8日

・面白くもないTVをつけながら、本を読んでいたら、女性ナースさんに「優雅でいいね」と言われた。皮肉か。いや、仕事熱心で真面目なナースさんなので皮肉ではないだろう。

「いや、本当にすることないんですよ」と私も本音を答えた。

本読むのは疲れるし、テレビはつまんねーし、入院というのはやはりすることがなく退屈である。

・将棋おばちゃんとの将棋のあと、 20代らしき女の子が来て、私にではなくおばちゃんに私の名前をきいた。「いや、名前きくなら俺に直接きけよ、コミュ障か」と思ったが、どうやら私とオセロをやりたいらしい。なのでオセロをやることになった。

オセロは私が勝った。 負けるや否や彼女は「うー!」と言って部屋を出てあっちに行ってしまった。よっぽど悔しかったのか、というか「コミュ障じゃねーか」と思った。仕方ないので「片付けますよ」とだけ言ってオセロを片付けた。片づけてる途中で女の子は戻ってきて、「ありがとうございました」とお礼を言った。

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・風呂に入るときは、点滴をしているので、服を脱ぐのにナースさんの介助がある。今回の介助は若い女性ナースさんだった。

服を脱ぎ着するとき、私の肌にナースさんの肌が密着する。女性の肌が触れること、女性に優しくしてもらえること、「入院して点滴しててよかった」と少し思った。

・食堂には本棚があるのだが、食堂でよくその本を読んでるおばさん(主婦?)がいて、村田沙耶香コンビニ人間』を読んでいた。

コンビニ人間』は以前私も読んだので、本について話してみたいと思いおばさんに「『コンビニ人間』面白いですよ」と話しかけてみた。

「もう読みました」とおばさん

村田沙耶香はお好きなのですか?」ときくと

「話したくないので」とおばさんは食堂を出て行ってしまった。

うぜーやろーだと思われてしまったのだろうか…。

コンビニ人間

 

 ・病室の拘束されたO木さんが、たまにうんこもらしたりゲロ吐いたりしてる。しかも「マンマーマンマー」しか言わないので、ナースコールをしない。そのまま放置。

仕方ないので、気づいた3回は私がナースコールした。別に親切でというわけではなく、単にそのままだと臭いからである。

いい歳してんだから自分でナースコールしろよと思うが、ここは精神病院であり常識は通用しないのだ。

 

ぼくの精神病院入院日記 続きます(たぶん)

ぼくの精神病院入院日記 1

4月の終わりごろから2か月半ほど、精神病院に入院してました。

入院理由は、ストレスによる心因性の過剰水分摂取による水中毒でした。

入院中に暇つぶしに書いた日記を、忘備録として載せます。

 ※以下出てくる人名は、当然ながらすべて仮名です。

 

4月某日

・目を開けたら、私は看護師さんにナポリうどんを食べさせられている。

そうだ。たしかタクシーで母に運ばれ病院の精神科に行き、着くや否やそのまま入院   したらしい。

病院に着いたときの記憶はかろうじてあるが(着いた途端、痙攣したのは覚えている)、それ以降の記憶がない。

「ここが病院で、おそらく私は入院したのだな」と察したので、そのままうどんを完食した。

・目が覚めた今日は、入院してから4日目らしい。たまに目を開けてすぐに眠ってたそうだが、記憶はない。

・右腕が点滴につながれている。意識が戻ってから強く思うのは、「俺はここで寝てるほど暇じゃない。早く帰らなければ…」という焦り。

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さっさと点滴を外してこの部屋から出ていきたいのだが、体が動かない。なんとかベッドから起き上がりベッドの横に立つ。が、点滴でつながれているので歩けない。

するとナースが来て「まだベッドに寝ているように」と指示して横にさせられた。

しかし私はどうしてもここから出たかったので、今度はなんとかしてベッドの上に立った。

またナースが来て「危ないから横になってて」と横にさせられた。こんなやりとりを2度ほどした。

(今思うと、そこまでしても病室から出たかったのだなぁ…)

・「この部屋から出たい…そうだ、トイレなら外に出れるかも」と思い、というか若干うんこがしたかったので、ナースを呼んでトイレに連れて行ってもらうことにした。

まだ歩けないので車いすにのせてもらう。車いすにのって、初めて病室の外に出る。

トイレは病室の隣にあった。

便器に座ってきばったが、便は全く出ず、車いすで病室にまた戻った。

ナースさんに世話かけてしまって申しわけないーーというか、ナースさんに心の中で「チッ、面倒かけさせやがって」と舌打ちされたような気がした。

(今思うとそれはただの勘違いで、ナースさんは皆素晴らしい人たちでした。というか、これくらいのことは皆慣れていて当たり前だった)

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・医者の先生によると、私がここに入院となったのは、水中毒での意識障害らしい。

私はここ最近、日々の不安を紛らわすために、水やお茶を1日7リットルくらい飲んでいて(当然吐く。吐きながら水を飲んでいた)、それで血中ナトリウム濃度が下がったとのことだ。

それだけでなく、ここに運ばれたとき、CK値(クレアチンキナーゼ。筋肉細胞の酵素という値が通常200のところ、私は7000あって死にかけていたのだという。

「この病院では手に負えないので、御茶ノ水の専門病院に送った方がいいのではないか?」という意見が半数、「とりあえずこの病院で様子みましょう」が半数だったらしい。 後者の意見が通り、そのうち私が意識を取り戻し、死なないですんだようだった。

(のちに先生から、「こんな数値今までみたことないよ。普通はこうなると腎臓壊して、一生人工透析になるんだけどね」と言われた。一生人工透析とか怖いわ…)

おかげで意識を取り戻しても、1週間、点滴が続いた。

 

・意識が戻って何日間か、「おしっこしたい」とはまったく思わなかった。大をしたい、とも思わなかった。 パンツではなく、おむつをはいていた。

ナースさんが私に「おちんちんに管入ってるからね、だからおしっこしたくないでしょ」と言った。私は「そりゃ、ちんちんには尿管という管あるでしょ」と思って聞いていた。

それにしてもちんちんの先っぽが痛い。トイレ(大)に連れて行ってもらってびっくり。

ちんちんにカテーテルが入っていて、尿とり袋につながれていたのだ。

「ちんちんに管」ってこれか! 初めての入院で、驚くことばかりだ。

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・あまりにもちんちんが痛いのでよくみたら、尿カテーテルを入れるために包皮がむかれていた(仮性なのです)。それには苦笑するしかなかった。

 

ぼくの精神病院入院日記 続きます

夏目漱石『彼岸過迄』 ~近代的自意識に苦悩する男と、現実を生きる女

漱石は私の好きな作家だ。

漱石作品は基本的に新聞連載小説であるため、次の頁を早くめくりたくなるような話の展開なのがいい。漱石は、人間模様や会話もかなり上手い。

何より作品のテーマが「近代自意識という悩みと、それ以上に現実である女性関係」なのも好みである。

「理想は高いが、現実は陳腐」

「自意識ばかりで現実を生きてない男よりも、現実を生きる女の方が上手(うわて)」

これが漱石作品に通底する主題だと思う。

さて、漱石作品ではおそらくマイナーながら、面白い作品だったので紹介したい。

彼岸過迄

彼岸過迄 (新潮文庫)

彼岸過迄 (新潮文庫)

 

後期3部作(『彼岸過迄』『行人』『こころ』)の第1作であり、1年半前に「修善寺の大患」といわれる大病で死にかけて以来の復帰作。

明治最後の年(1912年)の元旦から連載され、「彼岸過ぎまで連載する予定」とのことでこの題名がつけられたが、実際の連載は4月いっぱいであった。(全然彼岸に届いてないよ!)

小説の構成は「いくつかの短編小説が連なって長編小説を構成する」という珍奇なもの。

基本的には「主人公・田川敬太郎が、幾人もの人から話を聞く」という筋。  章によって、語り手が敬太郎から他の人物に変わる。

話の筋はウィキペに譲るとして、 

彼岸過迄 - Wikipedia

おおまかな登場人物だけ紹介したい。

 

田川敬太郎 :

主人公。大学卒業後就職できず、働き口を斡旋してくれる人を探している。

世間知らずのロマンチストで、「探偵みたいな冒険の仕事に就いてみたい」などと夢想している。

仕事の口を紹介してもらいに行ったら、「駅にいるある人を尾行する」という探偵仕事を頼まれる。この尾行場面を書いた章「停留所」は、ミステリー小説のようにぐいぐい読ませてかなり面白い。

須永市蔵 :

敬太郎の大学の友人。物語後半部の実質的主人公。「近代的自我」に悩む漱石が、自身を投影した人物。章「須永の話」では、敬太郎に自身の恋愛話を語る。

幼馴染で親戚の千代子とは、母が許婚(いいなずけ)と決めた間柄である。千代子も須永に好意を寄せてはいる。しかし須永は千代子を嫁に貰うつもりはなく、千代子から逃げている。「恐れない女」である千代子に、「恐れる男」である僕は恐れているのだ、などと、「自我をこじらせた」自身の苦悩と自己弁護を延々と、延々と述べる。

しかも千代子に別の婚約者候補ができると、その男と千代子に腹の底で烈火のごとく嫉妬する(笑)

松本 :

須永の親戚。高等遊民。敬太郎が探偵したのはこの男だった。

「雨の降る日」では、雨の日に幼き娘が病気で突然死んだ、という、実際に漱石の娘が急死した体験を元にした話をする。

最終章「松本の話」では、以前須永が「何故僕が、こんな僻みの性格なのだか教えてくれ」と涙ながらに言うので、実は、須永は母の実子ではないということを明かしたと言う。母が千代子と結婚させたいのは、(千代子は親戚なので)須永と血縁ができるからだ、と。

ここで読者には、須永が千代子との婚姻を拒む理由は、「恋愛より先に血縁で決められた関係」だから、そこに「魂の恋愛」がないと須永が思っているからだ、と暗示される。

 

印象的な台詞をいくつか

あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです(27P)

この間僕の伴れていた若い女は高等淫売だって、僕自身がそう保証したと云って呉れたまえ (186P 高等遊民松本が、千代子の父に対して)

僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。 美くしいものほど強いものはない」と。 強いものが恐れないのは当り前である。 僕がもし千代子を妻にするとしたら、 妻の眼から出る強烈な光に堪たえられないだろう。 その光は必ずしも怒りを示すとは限らない。 情けの光でも、愛の光でも、 もしくは渇仰の光でも同じ事である。 僕はきっとその光のために射すくめられるにきまっている。 それと同程度あるいはより以上の輝くものを、 返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。  (252P 須永)

「何故愛してもいず、細君にもしようと思ってない妾(あたし)に対して…」「何故嫉妬なさるんです」  (324P 千代子)

あなたは卑怯です、徳義的に卑怯です。あたしが叔母さんとあなたを鎌倉へ招待した料簡さえあなたはすでに疑ぐっていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。あなたはひとの招待に応じておきながら、なぜ平生のように愉快にして下さる事ができないんです。あたしはあなたを招待したために恥を掻いたも同じ事です。あなたはあたしの宅の客に侮辱を与えた結果、あたしにも侮辱を与えています」

「侮辱を与えた覚はない」

「あります。言葉や仕打はどうでも構わないんです。あなたの態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、あなたの心が与えているんです」  (325P 千代子)

須永が最後、千代子に言いこめられるように、自意識に悩む男より、現実を生きる女の方が強い。そしてそれ故にすれ違うのである。

彼岸過迄』は、漱石作品ではマイナーながら、漱石の「近代自意識」というテーマが前面に出た、日本近代文学史に残る名作だと思う。

そして実写化する際(話が地味だからしないだろうけど)には、「ニートじゃない!高等遊民だ!」(ドラマ『デート〜恋とはどんなものかしら〜』)でお馴染みの長谷川博己を、ぜひ須永役にしてもらいたいものである。

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NHKで漱石役(『漱石の妻』)やってたし適役だと思う(笑)  <了>

第二十五回文学フリマ東京・編集後記&レポ

文学系同人誌即売会第二十五回文学フリマ東京(11/23)に、サークル文化系女子になりたい』で出展参加しました。

 

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23冊頒布して21人の方にお買い上げいただけました。

本誌に入りきらなかった漫画文学論、回文集、テレビ論などのおまけもそこそこ手に取っていただけました。

ブースにお越しいただいた方本当にありがとうございます。

表紙を手差しコピーで厚紙にしたので見た目もよくなったのか、女性の方に多く手をとってもらいました。もともと「文化系女子になりたい」というサークル名にしたのは、男ばかりで(現在は3人で女性が1人います)むさかったので、できるだけ可愛いイメージにしたかったからでした。その意味では、女性受けしたことはうれしかったです。

それから、私のこのブログの読者の方や、ツイッターフォロアーの方も来ていただけました。読者さんの顔をみれたのはうれしかったです。本当に励みになります。

次回5月の文学フリマ東京にも参加予定ですので、そのときはぜひまたご来場いただけるとうれしいです。

 

本誌に載せた、私がかいた文芸マンガを掲載します

『嫉妬の果実』

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