文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

「どうすれば愛しあえるの: 幸せな性愛のヒント」(宮台 真司,二村 ヒトシ著)読書会発表レジュメ

今度、性愛について読書会をするのだが、そこで発表する本

「どうすれば愛しあえるの: 幸せな性愛のヒント」(宮台 真司,二村 ヒトシ著)のレジュメ(要約)を作ったので、ここに載せる。

どうすれば愛しあえるの: 幸せな性愛のヒント宮台真司二村ヒトシ著 読解レジュメ

 

二村「すべての親は子供の心に穴を開ける」

 恋愛やセックスに対する価値観、言動や立ち振る舞いは、その人の精神の根幹をなしていて、それには本人の幼少期の体験や家族との関係が深くかかわっている。人は子供の頃の愛情の受け方を、大人になってからの恋愛とセックスを使って、同じことを自動機械的に繰り返すか、あるいは逆に得たかったけど得られなかったものを得ようとして懸命に「生きなおして」いる。

今の社会において、生きていきやすい形の心の穴と、生きにくい形の心の穴がある。

 

今の社会においては、女性の方が不利な立場にある。現代日本社会は男性が「自己肯定できているような気分」(インチキ自己肯定)の方法が、男には用意されている。

 

宮台「インチキ自己肯定の典型が今のナンパクラスタ

ナンパ講座は、「自分は駄目」という不全感を、元の原因とは別の「代わりの承認」によって埋め合わせたがる男ばかり。他者を思いやる気持ちもないくせに他者から褒めてもらいたがる、自己中心的存在。「あさましく、さもしい存在」

 

 

<社会の劣化>への鈍感さをもたらす<感情の劣化>

社会がスーパーフラット化する中で、性愛に過剰な人々はコミュニティから「イタイ奴」と思われるようになっていった。(表層的コミュニケーションの上達が、性的退却につながった)

その一方で、インチキ自己肯定する男、こじらせ女子やメンヘラちゃんが増えていき、本来なら「社会の外側」に存在すべき性愛を内側にとどめることで、性愛が単なる自己承認ツールに成り下がった。

「心の穴を埋める」というのは、自分が自分の受容してないのをごまかして、他人のせいにすることなので、しっぺがえしをくらう。

 

宮台 これは目に見える<感情の劣化>。相手の感情を自分の心に映して同じ感情に感染する能力が落ちた。これが劣化すると「仲間」や「絆」の感覚が薄くなる。すると、仲間のため、絆のために戦うといった「正しさ」や「情熱」も冷め、利害損得が肥大してしまう。

その結果、性愛や政治や教育の営みを評価するときに、したり顔でビジネスマインド(笑)を持ち出すクズが増える(コストが~、リスクが~とか言い出す)。

性愛や政治や教育はそもそも、コストやリスクをいつの間にか乗り越えるような情熱や正しさに関わる。

 

<家族の劣化>に関わる<感情の劣化>

お金のために結婚しがちな日本の両親のもとに生まれた子は、親から「正しさ」よりも「損得勘定」のメッセージを受け取り、それゆえ親を尊敬できず、損得で結びついた家族ゆえに幸せに乏しい。そういう子は、「損得勘定に」敏感でも、「正しさ」には鈍感で、規範的な生き方をしてないので自尊感情が著しく乏しい。

「美しくない家族」は「美しくない子供」を量産する。そしてその子は「美しくない家族」を再生産するか、そもそももてないので家族形勢から見放される。


まともな男」を見分ける条件を一つだけ挙げると。

「女が過去の恋愛体験や性体験を話したときに耳をふさいだり、怒り出す男を排除せよ」

女の過去の喜怒哀楽を男が自分の喜怒哀楽として共体験する力の欠如だから。

 

脱線:なぜヒトラーはモテたのか。

ヒトラーが政権を取った1933年の、CIAの前身OSSのレポート。

ヒトラーは今風に言えば「キモい」奴だが、彼が「キモい」からこそモテた。

「自分はキモい」と思う人は、「ヒトラーはキモい」と誹謗されればされるほど、ヒトラーは自分の味方だ、と思うようになる。

ブッシュJr、安倍晋三の時も同じ。

 

 

社会の幸いと、性愛の幸いの逆立

<社会の営み>における幸いと、<性愛の営み>における幸いは同期しない。

社会がよくなっても、性愛で幸せになれないのはなぜか。

社会は<交換>のバランスを基軸とした合理の領域。

性愛は<贈与>の過剰を基軸とした非合理の領域。だから社会は性愛を覆えない。

「社会に適応するのをやめ、適応する振りでとどめろ」 要は、なりすませ。

損得原理、つまり<交換>が貫徹する「社会の営み」に適応すれば、

内発性、つまり<贈与>が貫徹する「性愛の営み」が不可能になる。

 

 

「性愛不全」から脱却する方法  倒錯者になろう

二村 ジャック・ラカンの著作を自分流に読むと、ラカンは「神経症者・精神病者・倒錯者」にわけた。

神経症者=我慢しなきゃいけないと思って社会を生きている人。多くの一般人。

また「仕方なく存在する社会」を「法外を許さぬ社会」と勘違いするような、ウヨ豚、クソリベ的な反復強迫者も出てくる。

精神病者神経症者とは違った物語を生きている人。一般人からしたらやばいので社会から隔離されてしまう。

倒錯者=社会に適応「するふり」をしている人。自分が変態だと自覚している「よい変態」(他人に危害を加えない)

=過剰存在=<贈与>存在=トランス存在

だから、なりすませ=倒錯者として生きよ。

 

社会から見えないように、よい変態たちのコミュニティを形成し、社会生活においては一般人と同化して生きる。

社会の規範の外に出る倒錯者は、毎日社会の仕事をこなしているけど、同じ性質を持つ相手にはバンパイア性を包み隠さず、めちゃくちゃ淫乱になる。そういう相手を探せ。

普段ナンパ師だとか自慢してる奴らは、自らの承認欲求を満たしたい神経症者で、実は社会の規範の中に生きているだけ。全然エロくない。

皆さんに伝えたいのは、こっそり、ひっそりと変態になってみてください。勇気を出して社会の外に飛び出してみて、現実を忘れさせてくれるようなセックスを体験し、私たちが社会を営む中で忘れてしまった感覚を取り戻し、またしれっと戻ってくればいい

 

以上、レジュメ終わり

 

この本の元となった

宮台真司×二村ヒトシ『男女素敵化』講演会レポ

もあるので、併せて読んでほしい