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文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

押見修造『惡の華』高校生編(7~11巻)を読む  ~破滅よりも、生きることに賭ける

このマンガを読むのだ マンガ文学論

前回記事押見修造『惡の華』中学生編(1~6巻)を読む に続き今回は『惡の華』高校生編。 

 今回ははじめに自分語りをしたい。『惡の華』について書く以上、述べておいた方がいいと思ったからだ。

前回記事冒頭に<「かつて思春期に苛まれた少年」であった私>と書いたが、私が思春期に苛まれたのは大学生の頃だった。中学生で中二病を発症した春日と比べるとシャレにならない遅さだった(というか少年とも呼べないし 苦笑)

私が入学していた大学は、私が希望するランクの大学ではなかった。一浪していたのでそのまま入学したが不本意な入学でもあった。

不本意であるとはいえ、念願の「東京」へ行くことができた。私の住む町(埼玉)にはなんのカルチャーもない。東京なら私の知らないカルチャーや、私のしらない世界へ連れて行ってくれる人がいるはずーー。期待に胸を膨らましての入学だった。

しかしその期待は入学早々裏切られた。同級生たちは去年まで普通の高校生だった人たちーーつまり私と同じく「特別なカルチャーも何も知らない」ごくごく普通の、そして「退屈で凡庸な」人間だった。私を「どこかへ」連れて行ってくれる友はみつからなかった。

私は落胆すると同時に五月病になり、精神的にひきこもるようになっていった。時間があれば本を読み、映画を観てサブカル論理武装(笑)し、飲み会などでは「『XX』知ってる?(『XX』には映画ならウディ・アレン、作家ならここ数年の芥川賞作家、漫画ならガロ系の作家が入る。5人中3人ほど知っているレベルの知名度の人。去年まで高校生やってた人だと、名前すら知らない人も少なくなかった)」と尋ねて「こいつは俺の御眼鏡に適うか」試していた。話が盛り上がれば、私は仲間扱いしてその話題で盛り上がる。しかし「誰それ」とでも答えるようなら「え、有名なのに知らないの?(いやらしい言い方だ)じゃあ君は何が面白いの??ww」と小馬鹿にして「俺は君とは違うんです」オーラを出していた。かなり嫌な奴だ(苦笑)

当時の私の口癖は「つまらない」「もっと面白い話、して」だった。平凡で輝きのない毎日を憎んでいた。私は<特別に面白いこと>に触れたかった。そして私自身が<特別に面白い人間>になりたかった。

こんな底意地の悪い奴には友達などできはしない。だんだん孤立していった。

しかし私は真剣だった。「このままだと空気の薄さに窒息死してしまう」と思っていた。この態度(つまり面白いことを真摯に求めること)で生きるしか他になかった。

惡の華』には仲村さんの「つまんないつまんないつまんない!」という台詞がある。私も心の中で同じ台詞を叫んでいた。

だから私は『惡の華』を初めて読んだとき、胸をつかまれるように共感した。

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そして今現在。あのときの私は過去に置いてきた。人生の「つまらなさ」にも慣れた。だが私は生きている。あの当時ほど<面白きもの>を求めずとも生きてられるようになった。あのとき私が思い描いていたような<特別に面白い人間>にもなれなかった。ただ数々のマンガを読むことで、私は「ここじゃないどこか」へと妄想を飛ばし、平凡な毎日をやり過ごす術を身に着けたーー。

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惡の華』論に話を戻す。「高校生編」のあらすじ。

 

この町で唯一、人がたくさん集まる夏祭り。春日と仲村さんは、この町のクソムシ共に一泡ふかせてやるためにーーそして同じくクソムシである自分たちを終わらせるためにーー 祭りのやぐらを占拠し焼身自殺を決行する。

「この町のすべてのクソムシども!」「沈め!沈め!錆びて腐りきって沈め!」

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 口上を述べて衆人が惹きつけられる中、春日は火をつけようとすると…「私ひとりで逝く」仲村は春日を突き飛ばした。保護され茫然とする春日。「仲村さん!」自らに火をつけようとする仲村…しかし間際で仲村の父親に止められる。二人の自殺は未遂に終わった…

時は過ぎて高校生編。春日は埼玉に転向し、高校生になった。「あの日」以来心を閉ざす毎日だ。心の中は、死ぬ間際に自分を突き飛ばした仲村さんの影に支配され、自分は幽霊のようだと思っている。

そんななか、春日は別のクラスの女子、常盤さんと出会う。垢ぬけたグループにいるが、実は文学が好きで、そのことは誰にも言えないらしい。ひょんなことから常盤さんと春日は本を貸し借りする仲になり、常盤さんが小説を書こうとしていることを知る。

彼女が書いている小説のプロットをきくと、それはまるで「かつての、そして今現在の自分」であるかのように思えた。春日は常盤さんに、彼女が書く小説を読みたいと望む。一方、常盤さんも初めて、文学好きな本当の自分を受け入れてくれた春日に惹かれる。

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 ある日偶然、春日は街で佐伯さんに再開する。中学のとき以来だ。春日に似た青年と付き合っているという。佐伯さんは春日に言う「あの日、春日君が無様に生き延びさせられたのを見て『ざまあみろ』って笑いが込み上げてきた」「あのまま二人が死んでたら悔しすぎて…私どうしていいかわからなかったかも」そしてさらに続ける「春日君はまたそうやって逃げてるんだね」「あのコ(常盤さん)も不幸にするの?私みたいに」

春日は常盤さんのことを思う。彼女の小説には囚われの幽霊が出てきた。それは常盤さん自身が(そして春日も)幽霊だからだ。

春日は、常盤さんを救うことを決心する。「キミはずっと…ひとりで悩んで…幽霊みたいに…」「僕にはできない 一生 幽霊の世界で生きていくなんて」「僕と生きてくれ」 

春日の告白を常盤さんは受け入れる。

常盤さんの小説が完成した。春日に読んでほしいと言う。しかし春日は、自分にはまだその資格がないと、春日は中学生時代の自分をーー仲村さんとの出来事すべてをーー常盤さんに打ち明けた。「仲村さんに会いたい」。常盤さんは春日の背負っている過去に愕然とするが、「私も行く」と決める。

仲村さんは、千葉の港町で母親と暮らしているという。定食屋を営んでいた。

仲村さんと春日の再開。海辺で三人で話すことになった。

春日はきく「あの時、僕を突き落したのはなぜ?」。「さあ…忘れた」と仲村さんははぐらかすように答える。「きみはその人とつきあってるの?」「そうやってみんなが行く道を選んだんだね」。

去ろうとする仲村さんに常盤さんが声をかける。「あなたを見てると辛い。…まるで過去の自分を見ているようで」常盤さんは言う。春日には彼女と生きていく道があるのではないか?それがいいのではないか?と。

その言葉に、春日は仲村さんを砂浜に投げ飛ばして言う「僕は何もつかまえられない 必死で手を伸ばしても 触れたと思ったら離れてく」「僕はうれしい 仲村さんが消えないでいてくれて」

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春日に殴り返す仲村さん。ふたりは海の中でもつれ合い、春日は常盤さんを海に引きずり込む。

…海辺に寝転ぶ3人。「二度と来るなよ。ふつうにんげん」と仲村さん。

場面変わって大学生活。春日は常盤さんとの幸せな生活を営んでいる。ふたりは体を重ね…。

最終話。物語は、中学生時代の仲村さん視点へと円環する。顔のないクソムシ共に囲まれる仲村さん。気が狂いそうな日々。そのとき、自分とは別の変態・春日を発見する。

ここで初めて、仲村さんの世界に色がつく。

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そして春日が仲村さんに邂逅する場面をもって物語は幕を閉じる。

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 春日たちが夏祭りで焼身自殺しようとするのは、コミックの中書きやインタビューでも言及されているが、フランス映画『小さな悪の華』(70)のオマージュだ。

この映画は、寄宿学校に通う「無垢な」少女二人が、盗みや放火、悪魔崇拝の儀式を繰り返し、それが露見し大人たちに捕まることになると、学芸会で『悪の華』を朗読しながら焼身自殺するーーそれが彼女たちにとっての「純真」だからだーー話だ。

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 『小さな悪の華』では少女たちは破滅して幕を閉じるが、『惡の華』はその先ーーつまりこれからも生き続けなければならない彼らーーを描く。

佐伯さんが言ったように、彼らは「無様に生き延びさせられてしまった」のだ。

死ねなかった春日は、また灰色の毎日に飲み込まれる。あの日夏祭りの事件ーー前回述べたとおり、それは春日と仲村さんの究極のプラトニックロマンスであり、強烈に淫靡な輝きを放っていたのだーーも、もはや現実世界(と春日の内面)に影を落とす記憶でしかない。

惡の華』 高校生編は、嵐のように怒りの感情が噴出し渦巻いていた中学生編と比べると、まるで小雨のような静けさと暗さが同居した作風に変わる。私は読みながら、春日の同級生たちにかつての事件が知れ渡り、そこから無視などのいじめに発展していく…という予想をしていたが、そんな波乱もなく、春日の前に現れた女性・常盤さんと春日のほとんど二人の関係性だけで話はすすんでいく。

常盤さんは、表立てては見せないが、その内面には孤独を抱えている。この孤独(作中では「幽霊のような」と形容されている)に共感した春日が、常盤さんを救う決意をするーー。ここが高校生編のひとつのハイライトである。

中学生のとき、かつて春日は、憎悪と絶望に囚われた仲村さんを「救おうと決意して」、結果ふたりは破滅へと(未遂に終わったが)すすんだ。いや、春日が求めていたのは仲村の救済だけではなく、「自意識」ーーいやもっと強固なーー「自分という存在」という生きていれば必ず付き纏わざるをえないものからの脱出であった。だから春日は(そして同じ問題を抱えていた仲村さんも)、究極的に自分から離脱(つまり死)することを求めた。

しかし、今回常盤さんを孤独から救うという決意というのは、それは「よく生きる」ことへの賭けだ。春日の「僕と生きてくれ」という言葉は、「自分という存在」を抱えながらも、それを憎悪し拒絶するのではなく、(他者と)共有していこうとする決意だ。

もうひとつのハイライト、海辺での場面も美しい。仲村さんに思いをぶつけ、もみ合う春日は、傍観者である常盤さんをその戯れの中へと引っ張り込む。春日が、能動的に常盤さんを自分の人生に引き入れていこうとする決意の表れだからだ。

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「破滅」を選ぶよりも、「他者と共に生きること」を選ぶ。私はそれを美しい意志だと思う。なぜなら、「自分という存在」という不安を抱えながら、それを他者という「自分にはままならない存在」と共に生きることに賭けるその行為は、破滅を願うより、より困難な方へと賭けることだからだ。そして困難な賭けであるからこそ、そこには「愛」が生まれるのだ。

仲村さんが「二度と来るなよ。ふつうにんげん」と言うが、それはたぶん悪い意味ではない。生(そして愛)という困難へと賭けることができた春日への、「二人で生きてみせろ」という彼女からのエールだ。そしてたぶん春日は、もう仲村さんに会いにいこうとはしないだろう。なぜなら春日は、もはや仲村さんの幻影(つまり「破滅しきれなかった自分」)から解放され、自分の力で常盤さんと生きていくことができるのだから。

そして最終話、物語は仲村さんの視点で物語はじめへと円環する。ここでこの『惡の華』は春日の物語ではなく、「仲村さんが救われるための」物語になって幕を閉じようとする。春日は「他者と生きることに」、つまり愛を紡いで生きることに賭けた。仲村さんも春日のように愛を紡いで「ふつうにんげん」になることができるのだろうか。…きっと彼女も「ふつうにんげん」になれるだろう。あのとき海辺で全力で戯れた3人の笑顔からは、きっと彼女も誰かと共に生を選び取る人間になるだろうという予感をさせるのだ。   <了>

 

本日のマンガ名言:二度と来るなよ。ふつうにんげん