文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

押見修造『惡の華』中学生編(1~6巻)を読む ~クソムシたちのプラトニックロマンス

惡の華(1) (週刊少年マガジンコミックス)

惡の華(1) (週刊少年マガジンコミックス)

 

 今回は押見修造惡の華』。

「この漫画を、今、思春期に苛まれているすべての少年少女、かつて思春期に苛まれたすべてのかつての少年少女に捧げます。」

最終巻のあとがきに書かれた作者の言葉通り、「かつて思春期に苛まれた少年」であった私は、この作品について言いたいことがある…と言いたいところだが実はもうそれほどない。もう大方の事は(私以外の人によって)言い尽くされてしまったからである。*1

この作品には、それくらい読者たちに「これは俺だ」と惹きつける力があったのではないかと思っている。

 

この作品のあらすじを知らない方は、まずアニメ版『惡の華』のあらすじを見ていただくとして(原作の中盤、「中学生編」まで対応している)*2

【ネタバレ注意】画像でわかる!アニメ『惡の華』の内容【全13話】 - NAVER まとめ

blog 141 惡の華 第13話 (最終話) 感想

 原作のあらすじを「中学生編」までかいつまんで述べる。

~~~~

 ボードレールの詩集『悪の華』を読んでいることを自らのアイデンティティにしている自意識過剰な中学生・春日。彼はクラスの美少女・佐伯さんに対し密かに想いを寄せていた。

春日の席の後ろには、教師に対し平然と「クソムシが」と罵声を浴びせるクラスで浮いた女子仲村さんがいる。

ある日、春日は偶発的に佐伯さんの体操着を盗んでしまう。それを仲村に見られた春日は、彼女から「契約」を持ちかけられる。

f:id:akihiko810:20160226162528j:plain

「春日くんはずぶずぶのど変態やろうだから 私にその中身全部剥かれる契約」

 春日は、佐伯さんと付き合うことになる。しかしその裏では常に仲村が春日が「変態であること」を(春日に)暴き出すために糸を引いていた。

春日と仲村さんの破滅的な契約がエスカレートするにつれて、佐伯さんは自分の体操着を盗んだのが春日であると気づく。しかし「初めて、本当の自分を知ってくれた」春日の事は好きなままだ、仲村さんしか知らない本当のことを話してほしい、と言う。

 一方、春日は自分の「空っぽさ」に直面し、仲村さんが抱える孤独と過剰な鬱屈・苛立ちに満ちた内面に魅せられる。あるとき春日は仲村さんのノートを見る。そこには仲村さんが「自分と同類の変態」である春日を発見した喜び、春日との破滅を含んだ「契約」の充実した気分、しかしそれでも「<ここではない向こう側>には行けなかった」という絶望の言葉が書かれていた。春日は決意する。

「仲村さん、今度は僕と契約しよう… このクソムシの海から、這い出す契約を…!」

 春日は水泳の授業中にクラスの女子全員の下着を盗み出し、河川敷の林の中に秘密基地を作った。仲村さんを招く。「仲村さん、ここだけは、この町の中の<向こう側>なんだ」

f:id:akihiko810:20160229021711j:plain

この町で唯一人が多く集まる夏祭りで、何かしでかそうとたくらむ二人。ーーその時、佐伯さんは春日と仲村の後をつけ、この秘密基地を突き止めていた。

 次の日。佐伯さんは春日を秘密基地に呼び出す。「春日君の大切なものが燃えてるよ」と。春日が行くと、そこにいた佐伯さんは下着姿だった。「春日君 わたしとしよう」

f:id:akihiko810:20160229024927j:plain

拒絶する春日。「こんなの佐伯さんじゃない!」。しかし佐伯さんは無理やり春日を犯すーー。

逃げる春日。振り返ると秘密基地は燃えている。佐伯さんが火をつけたのだ。 そこへ仲村さんが来る。佐伯さんは仲村さんを挑発するが、仲村さんは動じない。戸惑う佐伯は漏らした。「どうして!どうして私は仲村さんじゃないの!?」。仲村は「やっと吐き出したね」「でもお前の中身は蠅よりただれてるよ」

(※ここまでのさらに詳しいあらすじはこちら ジョニログ : 悪の華 -あらすじ-

 この放火事件により、春日たちの「契約」は白日のもとに晒された。春日は警察で取り調べを受けたのち、外出禁止を言い渡される。しかし春日は仲村の元へと行く。

仲村は初めて涙を見せて言う。「向こう側なんて無い こっち側もない 何もない。クソムシも変態もない。もう…何も無い」「どこへいっても 私は消えてくれないから

そして二人は決心するのだった。

「春日君…明日捨てようか これからの人生すべて」

~~~~~ 

この作品は、作者インタビューによると、連載前の編集者との打ち合わせで「古谷実谷崎潤一郎ぽいの」というテーマで連載することが決まったらしい。少年誌ながらある程度、読者年齢層を高めに設定したようだ。

創刊編集長の朴鐘顕さんにお会いしたときに引き合いに出されたのが、谷崎潤一郎とか『ヒミズ』でしたから。

拙ブログでも古谷実シガテラはとりあげた。(古谷実『シガテラ』を読む ~毒を孕んだ日常のその先にあるものは…絶望か?あるいは希望か?

惡の華』の主題も『シガテラ』と同じく、「肥大化した自意識を持つ主人公が、灰色の日常を生きる」である。ただし『惡の華』がシガテラの主人公・荻野と決定的に違うのは、彼がなんとか「日常を生ききる」のに対し、『惡の華』の彼ら(春日だけではない。仲村・佐伯さんの3人だ)は「日常を生ききれずに破滅へと向かう」ことだ。

「日常を生ききれずに破滅へと向かう」作品は、特に珍しいものでもない。

有名なところでは、岡崎京子リバーズ・エッジ』(93年)では「『平坦な戦場』と例えられた<終わりなき日常>の中で、川岸で見つけた死体を眺めているときにしか、<生>を実感することができない」閉塞感が描かれている。(ラストにはある登場人物の破滅がある)

リバーズ・エッジ 愛蔵版

リバーズ・エッジ 愛蔵版

 

惡の華』では、「<田舎の日常>という閉塞感」というよりも、「その閉塞感ゆえの<自意識の肥大化>」が物語のテーマになっている。

二人のファム・ファタルとプラトニックロマンス

悪の華を読んでいる特別な自分」であることを自尊心としている春日にとって、彼の恋愛観が「プラトニック(精神的な結合)」であることは当然だろう。佐伯さんに告白するときも「僕とプラトニックなおつきあいをしましょう!」だった。もちろん春日が佐伯さんの体操服に欲情してしまうことからも彼に肉欲はあるのだけど(笑)、「プラトニックラブから始まらなければ、特別な存在である<僕と彼女>には相応しくない」という考えだ。まぁ、思春期なんて誰でもそんなもんで、「初恋の相手じゃなくてもセックスさせてくれれば初めて付き合う女性は誰でもいい!」なんて少年はあまりいないと思う。(もちろんセックスは少年にとって魔物なので一概にそうとも言えないのだが、この話は脇に置いておく 笑)

そして春日は佐伯さんのことを「オレの詩神(ミューズ)、運命の女(ファム・ファタール)」と呼び、理想化する。

f:id:akihiko810:20160301174354g:plain

 佐伯さんは(のちに告白するように)常に<優等生を演じている>人間だった。彼女が春日(含むクラスメイト)から理想の少女に思われるのは、彼女が意識的に(そして無自覚に)演技しているからだ。

佐伯さんは始め「春日君が初めて本当の私を理解してくれた」と言うが、それは春日が「生身の佐伯さんと向き合いたくなかった」と告白するように佐伯さんの勘違いで、春日が見ていた佐伯さん像は終始「春日によって理想化された」<演技されたミューズ>でしかなかった。

一方の仲村さん。彼女は、つまらない世間に迎合している奴ら全ては「クソムシ」だとみなして拒絶している。ドロドロの欲望を隠した普通の人々が演じる<無味乾燥な平穏な日常>という芝居に耐えられない…誰よりも<純粋な>存在ーー彼女の言葉で言うなら純粋さゆえの「変態」だ。

ファム・ファタル」とは運命の女であるがーーそれは男を惑わし破滅へ導く女のことである。直接的に春日を破滅に導く女は仲村さんであり、彼女がファム・ファタルであることは間違いない。

しかし…佐伯さんの本性、<演技されたミューズ>でありながらそうでない部分の彼女もまたファム・ファタルであり、春日を破滅に導こうとした。「私として」「見てよ…触ってよ…私は人間なの!」と春日に迫ることによって。潔癖な春日に、彼女のドロドロとした欲望をみせつけた。佐伯さんは聖女から誘う女、淫婦へと変容する。

それに対しての仲村さんは非常に冷徹だ。「お前の中身は蠅よりただれてる」と彼女(佐伯)の「変態さ」を指摘しながら、それでも「お前になんかわかってたまるか」と、彼女に<純粋さ(=嫌悪すべき日常に迎合することに、嫌悪すること)>が欠けていることまで指摘する。聖女から淫婦へと変容したファム・ファタル佐伯さんとは対象的に、仲村さんは、悪女として登場しながらも<終始純粋な>ファム・ファタルだ。

放火事件後、もはや<向こう側>も「変態」も何もなくなった3人。春日は、<純粋な>ファム・ファタル仲村さんについて行くことを決める。仲村さんはもはや「クソムシも変態もない。何も無い」人間となった。そこで春日が選ぶのは、「クソムシも何もない」空っぽな者同士だからこそ共感しあう、最もプラトニックな関係であり破滅への決断ーーつまり『ロミオとジュリエット』が叶わぬ恋の末心中で幕を閉じるような、究極のロマンスだーーだった。

仲村さんと春日の間に、恋愛感情は最後までなかった。そこにあるのは、当初春日が佐伯さんとの間に望んだようなプラトニックラブではない。春日が選びとるのは、仲村さんと共に破滅へ向かうという<二人のつながり>…それはまぎれもなく究極のプラトニックロマンスなのだ       <了>

 

高校生編は次回書きます

 ※書きました 押見修造惡の華』高校生編(7~11巻)を読む  ~破滅よりも、生きることに賭ける

本日のマンガ名言:黙れ クソムシ(仲村さんから春日へ)

*1:感想記事は数多いが、『惡の華』のおしまいによせて - ホンダナノスキマが特に面白いか

*2:アニメ2期(高校生編)は、ロトスコープでの制作が大変だったため、断念したそうだ。残念!