第二十八回文学フリマ 編集後記&レポ
文学系同人誌即売会 第二十八回文学フリマ東京(5/6)に、 サークル「文化系女子になりたい」で出展参加しました。
ミニコミ「文化系女子になりたい 駄目人間について考える号」を300円で、30部頒布できました。初の完売でした。買っていただけた皆さん、ブースに来て下さった皆さん、ありがとうございます!
「駄目人間割引」(駄目人間エピソードを披露してくれたら百円引き)というのをやったのだけど、なかなか好評でした。遅刻がすごい、月に何度かうんこもらす、小学生の時ランドセル忘れて登校したことがある、など微笑ましい(?)駄目エピソードの他、びっくりするようなエピソードを話してくれた方もいました(プライベートなことなのでここには書きませんが)。
文学フリマには、サークル参加して2年くらいなのですが、若干ながら固定ファンもついてくれたようでうれしいです。
それにしても サークル数700、来場者4000人いるだけあって、熱気のあるイベントですね。文学的な「同志」と出会える場で、色んな方の作品に出会えてお話しできるのは楽しいです。思った以上に皆、文学的感度が高い作品書いててすごいと思います。
ただし、金も時間も足りなくて全部回れないことは無念(でも5~6千円くらい買った)!もっと色んな方とお話したかったです。
ツイッターで事前にチェックしていたサークルさんの本はほとんど買えました。ただ、ツイッターで #文フリ東京 のハッシュタグをつけてなかったサークルさんは事前チェック漏れしてて、AV批評の面白そうな本出してるところがあったとか、帰ってから知ることもありました。
『夫のちんぽが入らない』のこだまさんサークルにも、限定300部頒布ということで絶対行こうと画策してたのですが、開始時にはすでに100人並んでたので、自信の出店でやるべきことも沢山あって買うことができませんでした。残念。
それから、できるだけ多くのサークルを回りたいので、同人誌も1500円くらいすると、「絶対に何が何でもほしい」作品でないと買うのを躊躇してしまいます。もちろん私も同人誌制作者なので、この値段である必然性があるのは(原価がそれだけかかっている)わかっているつもりなのですが。
同人誌は一期一会なので、そこらへんが悩ましいです。
それから、読んだ同人誌の感想はツイッターで読者さん当てにつぶやいています。
私が載せたエッセイは、カクヨムで読めますのでどうぞ。
両津勘吉になれなかった僕たちと、愛人が12人いるらしい2丁拳銃の小堀
あと、無料配布用に文芸マンガを10P書いたのですが、これは後日載せます。
次回秋の文フリ東京(11/24)も参加予定ですので、ぜひお越しください。よろしくおねがいします。
【告知】第二十八回文学フリマ東京 (5/6 月)参加します。サークル「文化系女子になりたい」(カ-12)
文学系同人誌即売会 第二十八回文学フリマ東京 に出展参加します。
日時:05月06日(月) 11:00〜17:00
会場:東京流通センター 第一展示場(東京モノレール「流通センター」駅)
私たちのサークルは「文化系女子になりたい」、
ブースはカ-12です。
(去年の文学フリマの出展ブースの写真)
内容は、「駄目人間特集号」。ダメ人間に関する本・映画の座談会とエッセイ、短歌、サブカルチャー評論(漫画論、映画論)です。
1部300円です。その上でツイッターフォロー&ダメ人間エピソードを披露してくれた場合100円割引となるダメ人間割引を実施します。
他、本誌に入りきらなかった描き下ろしマンガのコピー本を頒布する予定(マンガ、鋭意制作中!しかし予定より長くなってしまい終わるのか…)
絶対に損はさせません、ぜひお越しください! 皆さんとお会いして何か語らいたいです!
あと、文フリ東京に出展参加される方は、ぜひコメント欄に「参加するよ」とコメントお書きください。こちらからブースに寄らせていただきます。
映画『若おかみは小学生!』論 ~死の側から覗く、おっこの成長物語
累計発行部数300万部を誇る人気児童文学シリーズの映画化である、アニメ映画『若おかみは小学生!』をみた。去年ネットで「この映画は凄い!」「泣けた!」とかなり話題になった作品である。
あらすじ。
小学6年生のおっこは交通事故で両親を亡くし、祖母が経営する花の湯温泉の旅館<春の屋>で若おかみ修行をしている。どじでおっちょこちょいのおっこは、旅館に昔から住み着いている幽霊のウリ坊に励まされながら、持ち前の明るさと頑張りで、お客様をもてなしていく…。
評判通り傑作といえる出来だったが、本作は不思議な作品であった。
児童文学らしくおっこの成長譚としてよく作られているが、幽霊の登場によって、物語の最初から最後まで常に「死」が隣に張り付いている奇妙な作品になっている。
「死が隣に張り付いている」、とはどういうことだろう。物語は、両親の事故死から始まる。それに幽霊のウリ坊が峰子(おばあちゃん)を見守り、同じく幽霊の美陽(みよ)が妹の真月(まつき)を見守っている。幽霊が常に登場するのだから、そこに死の匂いがするのはある意味必然なのだが、それだけでは死が登場するという程度で、「死が隣に張り付いている」とまではいえない。
これはやはり、おっこの両親が「夢」としておっこの前に現れること、しかもおっこにとっては現実とシームレス(地続き)に現れるということが大きい。亡き両親の生き生きとした姿が、「はっ、これは夢か……」みたいな描写がないまま、現実と地続きに挿入されるのだ。この描写は、おっこの中では「両親がまだ死んでいない」ことを意味すると思う。唐突すぎる両親の事故死を、おっこは呑み込み切れないまま毎日の生活をしているのだ。
それはおっこが両親の事故死後、ガランとした誰もいないマンションを「行ってきまーす」とさして落ち込みきった様子も見せずに出る場面や、仲居さんが「(両親を亡くして)大変ねぇ…」と泣く傍できょとんとしている場面からも明らかである。おっこは気丈に振舞っているのではなく、自身の状況をうまく呑み込めないのだ。
そんな「両親の死」を呑み込めないおっこだが、ふとしたときに事故のトラウマが噴出してしまう、というのも脚本としてうまい。作中では旅館客のグローリー水領と車で買い物に行ったときに、事故を思い出して過呼吸になっている。おっこには、死が隣に張り付いている。
しかしおっこはおかみの仕事を通し成長することで、その「死」を振り切ることになる。
ラストエピソードで、両親を事故死させた加害者が客としておっこの前に現れ、そこでおっこは初めて「両親が死んだこと」をつきつけられる。その上でおっこは「私は春の屋の若おかみです!」と、自分が「若おかみ」として生きていくことを選び取る。これはおっこの「親離れ」であると同時に、ここに至っておっこは「死」を克服し、「生きる術」を獲得するのだ。
この場面、(夢の中の)両親が「一緒にいられなくてごめんね」とおっこに語りかけるのだが、この場面で我々観客は「亡くなった両親の視点から」おっこの成長をみていることに気付く。つまりこの作品は、「死」が常に隣に張り付いているというだけでなく、観客がおっこの成長を「死の側から」見守っているという構造になっているのだ。
この点が私が本作を「不思議な作品」と評した所以である。
話を戻すと、それと同時に、おっこはウリ坊たち幽霊が見えなくなってくる。通過儀礼(おっこの「死」の克服だ)を終えたおっこは、幽霊たちと別れなければならない。
だが、おっこはこの別れに悲観することはない。おっこはもう、幽霊たちの力がなくとも生きていけるのだから。名残惜しさと共に、ウリ坊の言葉「転生して、きっとまた会えるよ」と共に、おっこが神楽を舞う最中に幽霊たちが消える。そしてそれと同時に物語の幕が閉じる。
両親の事故で物語の幕が開け、幽霊たちの消失で物語の幕が下がる。物語は「死」で始まり、「死の克服」で終わるのだ。そして大事なことだが、これだけ「死」が物語の通底にあるにもかかわらず、この作品はギリギリのところで暗くはならない。おっこというキャラクターの明るさが全編にわたって出ているので、子供にもうける「明るい児童作品」になっているのが稀有なところであり、この作品の魅力なのである。
児童向けの作品でありながら、「死と成長」を真正面から(あまつさえ、死の側から!)描き、なおかつ魅力的なキャラクターを登場させ児童向けエンターテイメント作品として成立させたのが『若おかみ』であり、傑作と評される理由だろう。
この映画を観た後には児童小説版も読んでみたくなり、またおっこに会いたいと思わせてくれる、すぐれた作品であることは間違いない。 <了>
よしながふみ『フラワー・オブ・ライフ』を読む ~「正しくない」からこそ「正しい」、私たちの弱さ
『フラワー・オブ・ライフ』(全4巻)、今や大御所とも言ってもいい、よしながふみの少女コミックだ。
4巻のラストを考察してみたい。4巻ラストのあらすじ。
ーーーーーー
高校生・花園春太郎は、同級生の三国とプロの漫画家になることを目指している。
あるとき春太郎は、姉と口論してしまう。姉は勢い余って、「だって、あんたなんて すぐ死んじゃうかもしれないんだから!!」と春太郎に家族が隠していたことーー春太郎が患っていた白血病は治ったものの、まだ5年以内に再発する可能性があること、骨髄移植した患者の1割が5年以内に死ぬことーーを春太郎にぶちまけてしまう。
姉は春太郎に今まで嘘をついていたことが重荷だったのだ。
春太郎は自分に嘘をついていた姉(と家族)を許すが、勉強をしているときにふと英和辞書にある例文をみつけてしまう。
He died in the Flower of Life. 彼は人生の花盛りで死んだ。
「10%なんてあんまりだ。普通の人の何十倍も何百倍も死にやすいんじゃないか」
春太郎はショックをうけて泣く。
一方、春太郎の同級生の真島(ドS鬼畜眼鏡)は、担任女教師の滋(しげる)とつきあっていた。滋が同僚の教師・小柳と不倫恋愛していたところに割って入ったのだ。
しかし真島は、滋がまた小柳とヨリを戻していたことを知る。
真島「どういうことだ。お前と小柳は今、別れていなければならない」
滋「あたしは生身の男と女なの!よりが戻ることもあるの!人間は本当に好きな人がいたって他の人と寝ることがあるの!」
「あたしはこういう女なの それが嫌だっていうんなら、あんたがあたしを捨てればいいじゃない!」
真島はプライドを傷つけられ、ショックをうける。カッターで滋を切ろうとまで考えるが、春太郎が来てなぜか急に泣き出したので思いとどまる。
そして2年生になる始業式の日ーー、滋は「私からきちんと別れを告げよう」と思う。別れるか別れないかを真島に決めさせようなんて、これまで私が小柳にされてきたことと同じだった、と。
春太郎は、同じく漫画を志す三国に、今は言えないが、1割の確率で再発するかもしれない、死ぬかもしれないということを、いつか告げようと思う。
「こうしておれは初めて友達に言えない秘密を持つことになった 高校2年生の春」
それぞれの Flower of Lifeーー人生の花盛りは、これからも続くのだ。
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この作品の主人公は春太郎だが、4巻のラストは誰が主人公とはいえない、群像劇のようになっている。この場面に限って言えば、春太郎、滋、真島の3人が主人公格といえる。
本稿では、滋(と真島)にしぼって考えてみたい。
滋は、世間一般の価値観に照らしてみれば(この話に限ってみれば)、ダメ人間と言われても仕方あるまい。何せ自分の「男関係のだらしなさ」を棚上げして、真島へ責任を転嫁しているのだから。
しかしたしかにダメ人間であるが、滋が真島に対して言う台詞は、一方で真実でもある。
「あたしはこういう女なの それが嫌だっていうんなら、あんたがあたしを捨てればいいじゃない!」
たしかに捨てればいいだけなのだ。これに関しては滋は正しく、真島は正しくない。
滋のこの言葉は苦し紛れにとっさに出てきた言葉かもしれないが、この言葉によって「正しくない」滋を、「実は正しい」ものへと反転させたのだ。しかしこの「正しさ」はもちろん、見かけ上のまやかしに過ぎない。
一方で、真島は滋の「正しくなさ」を裁こうとするが、滋がとっさにみせた「正しさ」に狼狽し、振り上げた拳を下すことができずに、カッターで切りかかろうなどという蛮行に及ぼうとする。
真島は<正しくない>滋を裁こうとして、逆に自らが裁かれてしまったのだ。
この「正しさ」を振り回したことによる関係性の反転に、文学性があると私は考える。
なぜ真島は滋を裁けなかったのだろうか。それは滋を裁こうとした真島も、滋と同じく「正しくない」人間だったからである。いや、正確に言えば、「自らの正しくなさ」を自覚していない人間だったからである。
真島は何が「正しくなかった」のだろうか。この場合で言えば、真島が常識を過信していた(男女がつきあえば、他の男とはもうつきあわないと思い込んでいた)ことだろうか。いや、もっと言うならば、「正しさ」そのものへの過信が正しくなかったといえるのではないか。
簡単にいえば真島は、人間は、正しくあるにはもろすぎる、ということを知らなかった。人は意図せずして間違えるし、場合によっては意図して間違える(滋の「正しくなさ」は「意図して間違いを選んだ」ことにある)こともある、ということを。
滋が「正しくない」のに「正しい」のは、「自らが正しくない」ということを自覚していた一点にある(滋が自らの正しくなさを自覚していることは、「あたしはこういう女なの」という開き直りの台詞から明らかである)。自身のもろさ、弱さを自覚しているからこそ、ひいては人間のもろさを知っているのだ。
話を春太郎の姉に変える。彼女は弟の春太郎を傷つけた。彼女もつまり弱い人間ーー正しくない人間ーーだったからである。そして春太郎は、そんな姉を許した。「そして分かったんだ ねーちゃんが今までどんなに辛かったか きっと俺がねーちゃんだったら、とっくに我慢できずに俺にホントの事を言っていただろう」という言葉と共に。春太郎も自らの弱さ、正しくなさを自覚する人間だったから、許す(赦す)ことができたのだ。
人は「正しさ」よりむしろ、「正しくなさ」で成り立っている。そして「正しくない」ことを自覚してこそ「正しい」ふるまいができるようになるのではないだろうか。
『フラワー・オブ・ライフ』の4巻のこの場面は、人の弱さ(正しくなさ)を正しく描いた名シーンだと私は思う。 <了>
本日のマンガ名言:
あたしは生身の男と女なの!よりが戻ることもあるの!人間は本当に好きな人がいたって他の人と寝ることがあるの!
第二十七回文学フリマ東京 編集後記&レポ
文学系同人誌即売会 第二十七回文学フリマ東京(11/25)に、
サークル「文化系女子になりたい」で出展参加しました。
ミニコミ「文化系女子になりたい 旅について考える」を300円で、26部頒布できました。買っていただけた皆さん、ブースに来て下さった皆さん、ありがとうございます!
今までは製作費の観点から、コピー本を頒布していたのですが、4回目の出店にして初めて印刷所での製本でした。
そのため300円という値段になってしまったのですが(それでも1冊の原価340円なので赤字設定)、30部ほど頒布できてうれしいです。
それからブログ読者の方も購入しにきてくれてうれしかったです。もっとお話ししたかったのですが、時間がなくてお話しできなかったのが残念です。
もし、このブログを読んでる方で「文化系女子になりたい」を購入してくださった方がいましたら、コメント欄にコメントください。
それにしても文フリって楽しいイベントですね。未知のであいがありますから。今回は楽しすぎて同人誌を6千円ほど購入しました。散財したなぁ…と思ったのですが、どの同人誌も面白いので後悔はしてません。むしろもっと買いたいなぁと思ったのですが、当然お金に限界があるのです。安く手に取れるZINEやフリペにはとても助かりました。サークルさんがもっとフリペ出してくれればいいのに…。
読んだ同人誌の感想はツイッターで読者さん当てにつぶやいています。
私が載せたエッセイは、カクヨムで読めますのでどうぞ。
埼京線快速で思う、こじらせ女子と仏教の話
第1話 - 埼京線快速で思う、こじらせ女子と仏教の話(@akihiko810) - カクヨム
本当は文芸マンガ描いて載せるつもりだったのですが、締め切りまでに思い浮かばず描きあげることができませんでした。すみません。マンガ描くのは難しい。
最後に、サークル文化系女子になりたいはメンバーをゆる募(ゆるく募集)します。埼玉県のさいたま市(浦和)で、文学フリマに向けてミニコミを作るサークルです。さいたま市の読書倶楽部のメンバーで作ってるのですが、もともとは私が「文化系の友達がほしい」と思って友人と作ったのがはじまりです。今メンバーが3人いるのですが、1人あたりの製作費を下げたい、もっと誰かと仲良くなりたいとの願いでもう少しメンバーがほしいと思っています。
興味ある方はぜひ連絡ください。(というか、同人誌に興味ある方はぜひ自分で作ってみると楽しいですよ!)
極私的・今年度ベスト5マンガ 2018
初めての皆さんはじめまして。そうでない方はお久しぶりです、タムラ昭彦です。
私はそれなりの漫画読みでして、(正確には数えていないものの)年間200冊ほどの漫画を読んでいるはず。
今回は年末にはまだ少し早いけれど、今年私が読んだ漫画2018・ベスト5を発表したい。(※私が今年読んだ漫画であって、今年発売された作品ではありません)
第5位
『詩人ケン』業田良家
あらすじ:
誰もが何かに飢えている現代に生きる詩人ケン。金も職もないが妻子はいる彼は、今日も言葉を探し求め詩を作る。ケンと彼を取り巻く情深きひとびととの交流を描く。
短評:
あらすじ:
人類は滅亡するために生まれてきたのか――――!?
世界は確実におかしくなっていた。2011年に人類発祥の地・ケープタウンに不思議な木が生えたときから…
強制的に「世界の終わり」を意識させられる人類…
刹那的な享楽にふける人…全てを諦め投げやりな生き方を選ぶ人…
全てが急速に変わり始めた世界の中で、変わらないことを選び絶望に挑む、家族の物語。
第3位
『月影ベイベ 』小玉ユキ (全9巻)
あらすじ:
伝統行事「おわら」を踊りつぐ町。東京から転入してきた蛍子は、町の伝統「おわら」を踊れるが 人前では緊張して踊れなくなってしまう。 そんな蛍子にひかれる地元の高校生、光。 どうやら、光の叔父と蛍子は昔からの知り合いらしいが、 2人は何も語らない。 小さな町に吹き込む、謎と秘密の風。 情緒と青春を瑞々しく描く、新しい小玉ワールド。
短評:
富山県のおわら踊りを題材にした、三角関係少女マンガ。おわらという超地味な素材なので、1、2巻はまぁまぁだったが、3巻でおじさんが不倫していたことが明るみになってからはめっぽう面白くなった。やはり少女漫画は「関係性」を描くのが上手いが、この作者は「かなわない恋の関係性」を提示するのがすごく上手い。主人公が「これが恋か」と胸がズキンとする場面は涙モノ。正統にして秀作の少女漫画だと思う。
第2位
『ミツコの詩』榎屋克優 (既刊1巻)
あらすじ:
女子高生詩人は今日も「紙以外」の何かに書いている。
校長の車に、トイレの壁に、教室の床に。
元詩人の国語教師は今日も苛立っている。
詩を履き違えた、その女子高生詩人に。
だから二人は詠い続ける。
互いの魂が正しいことを証明するためにーーー!!
短評:
詩の朗読バトル(通称詩のボクシング)がテーマの漫画。学校の窓ガラスから校長のベンツにまで辺り構わず自作の詩を書き付ける女子高生ミツコが参加している詩の朗読バトルに、プライドが高い元詩人の国語教師の吹抜が足を踏み入れていく…。 内容は渋く魂を叩きつけるかのよう。画も劇画調の重厚な感じなのが合っている。これは傑作漫画になる予感。とはいえテーマが地味なだけに、長期連作にはならないだろう。3巻くらいでがっと詰め込んでほしい。
第1位
あらすじ:
81歳、孤独な老人。46歳独身、介護職の女。27歳、特別養護老人ホームを「ある事情」でやめた青年。ぬぐい去れない痛みを抱えた3人の奇妙な恋が始まる――――。脚本家・小説家山田太一の小説『空也上人がいた』を、鬼才・新井英樹が漫画化
短評:
特養での罪の意識を抱える青年が、ある老人宅で介護を頼まれる。老人から京都の空也上人像を見てくるよういわれ…。 原作・山田太一、漫画・新井英樹。このタッグで面白くないわけがなく、文句なしの傑作であった。「傷のある人間同士の愛のあるセックス」というラスト場面は、やはり新井が好きそうなテーマで、この原作を漫画化するに際しての意気込みが感じられた。介護職のしんどさ、闇がしっかり描かれているのも、抒情派だけでなく社会派なドラマだと思う。この傑作原作にも漫画にも敬意を表したい。
骨太なテーマの漫画が好きなのでこのランクインとなった。どの漫画も必読の面白さである。
他、今年度のオススメ漫画は以下。ぜひ読んでもらいたい作品群である。
「大家さんと僕」矢部太郎
「淋しいのはアンタだけじゃない」吉本浩二
「寺島町奇譚」滝田ゆう
「含羞(はぢらひ)我が友中原中也」曽根冨美子
「春と盆暗」熊倉献
「みちくさ日記」道草春子
「オンノジ」施川ユウキ
「Sunny」松本大洋
「1122」渡辺ペコ
「海街diarly」吉田秋生
「Beautiful Sunset」小玉ユキ
【告知】第二十七回文学フリマ東京(11/25 日)参加します。サークル「文化系女子になりたい」(キ-7)
文学系同人誌即売会 第二十七回文学フリマ東京に出展参加します。
文学フリマ東京
第二十七回文学フリマ東京 (2018/11/25) | 文学フリマ
日時;11月25日(日) 11:00~17:00
会場;東京流通センター 第二展示場 (東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分)
私たちのサークルは「文化系女子になりたい」
ブースはキ-7、2F入口左から4列目です。
(去年の文学フリマの出展ブースの写真)
頒布する冊子は合同誌『文化系女子になりたい』
内容は、「旅」に関するエッセイと座談会、短歌、サブカルチャー評論(漫画論、映画論)です。
1冊300円。
他、本誌に入りきらなかった描き下ろしマンガのコピー本を頒布する予定。
絶対に損はさせません、ぜひお越しください! 皆さんとお会いして何か語らいたいです!
あと、文フリ東京に出展参加される方は、ぜひコメント欄に「参加するよ」とコメントお書きください。こちらからブースに寄らせていただきます。