文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

極私的女優論:マンガ『私の少年』と、「私の妹」にしたい杉咲花

高野ひと深私の少年というマンガがある。

30歳独身恋人なしのOLが、ふとしたことから美形の少年に、夕方だけサッカーを教えることになることになり、そこから二人の交流が始まるマンガである。そこでは独身OLお姉さんと少年の、親子でもなく姉弟でもなく友人でもなく恋愛でもない、奇妙だが心地よい関係性が描かれる。

 あとがきで作者曰く「これまで男性向けジャンルだったおねショタを、女性向けにしたもの」だそうだ。おねショタとは「おねえさん×ショタ」のことである。(私は「おねしょするショタ」と勘違いしてた。しかし気になるのは、おねショタ読者は、お姉さんに萌えるのだろうか、ショタに萌えるのだろうか?それともショタがお姉さんに甘える関係性に萌えるのだろうか?)

この『私の少年』に出てくる二人ーー30歳独身OLの聡子と、12歳美少年のましゅうーーは、30歳独身OLの聡子は仕事に悩む一般的な女性として、つまり30歳独身女性として一般的な「リアル」に描かれているのに対し、ましゅうは子供らしい純粋さやひたむきさを持った美少年キャラとして、つまり一種の「大人のもつ、<理想の子供>のイメージ」のキャラとして描かれている。

f:id:akihiko810:20171017211246j:plain ましゅう(上)と聡子

私は昔、小学生という「少年」だったので断言するが、ここまで「純粋さ」を持つ12歳の少年は、現実には存在しない。なぜなら男子にとって少年期とは、人生で一番アホな年頃だからである。現実の小学生男子は、友人たちとクラスの女子に「ブス!」と悪態ついてにからかったりする「馬鹿ガキ」か、あるいは少し背伸びして大人ぶった言動をする「ませガキ」である。そこにあるのは輝くような「純粋さ」ではなく単なる「アホさ」だ。

もし、ましゅうのような<大人の考えるような理想の子供>が、実在するとしたら、クラスの大多数に馴染めず実はいじめられてるような、影のある孤独な子供だろう。

いずれにせよこの「純粋な美少年」は、リアルなキャラというより、大人(読者)の妄想を体現する理想のキャラ、といった側面が強い。

ましゅうが「妄想を体現する理想のキャラ」であり、聡子が「リアルなキャラ」ーー私達読者のリアルを投影する役割を持つーーだからこそ、この作品は強い魅力をもつ。

そしてこの作品は聡子というリアリティの上に成り立ち、フィクションでありながら「これ実在するかも」というリアリティある作品として成立している。

さて、私がこの作品を読んだ(既刊3巻まで読んだ)ときの感想は、まず「この出だしは傑作マンガになる予感!」だった。ここからどういう展開になり結末を迎えるのかはわからないがーーまさか、聡子と大人になったましゅうが結婚エンド、なんて陳腐な結末にはしないだろうーー、二人の成長とそこで変化する関係性を見ていきたいと思った。そしてもうひとつの率直な感想、むしろ私がこの漫画を読んでの第一声は「こんなのズルイ!」であった。もう少し詳しく言うと「女性ばっかり美少年に癒されるなんてズルイ!俺も癒されたい!だ。

そりゃオトナの女性(読者)は現実に疲れているわけで、たとえ非現実的でも「純粋な美少年」に癒されたいのは当然だろう。オトナの女性は皆、純粋無垢な美少年に回転ずしをおごってあげて、楽しい時間を共に過ごしたいのである(聡子がましゅうを連れて初めて回転ずしに行くシーンは、この作品屈指の萌えシーンだと思う)。そこのツボを絶妙に押してくるこの作品は、実に目のつけどころがいい。

f:id:akihiko810:20171018022714j:plain ましゅう初回転ずし。これは萌える!

私が「ズルイ」と思ったのは、そこには「性の非対称性」があるからである。これを男女を逆にして、「おじさんが、(親戚でも何でもない)全くの他人である美少女を愛でるマンガ」にしたら、もうこれは完全なフィクションになってしまうのだ。

このご時勢、「おじさん×純粋な美少女」は現実にはポリス沙汰である。それは大袈裟だとしても、そこにはどうしてもーーたとえ男性側に「その気」がなくてもーー見る側には男性側の「下心」がまとわりつく。

もちろんこういう「おじさん×純粋な美少女」設定のマンガは、(私には今の所思い浮かばないが)いくつかあるだろう。しかしそういう作品を「これ本当に実在しそう」なリアリティを提示して、ここまで深い関係性を成立させるのは、かなり困難なことのように私には思える。

私の少年』にも、現実的なリアリティを表す場面として、<聡子が、親でなくただの他人でしかないましゅうの家庭の現実的な問題に対し、何もなす術がないことを思い知る>という場面がある。女性でもそうなのだから、男性が美少女を愛でる物語は夢物語というものだ。

そういう、絶妙で危ういリアリティの上に成立しているのが『私の少年という作品である。

ーーとここまでマンガの紹介をしたわけだが、実はマンガ紹介だけをしたいわけではない。

「俺も『私の少年』みたいに、こういう女の子と仲良くおしゃべりしたい!癒されたい!と思った話を書きたいのである。

先日、CSで湯を沸かすほどの熱い愛』(16)という映画を観た。その年のキネ旬邦画ベストテン第7位、というなかなかの出来の映画であった。

湯を沸かすほどの熱い愛
 

 宮沢りえが主役の母親役で、その娘(たぶん高1)役を、杉咲花が演じていた。

f:id:akihiko810:20171018024618j:plain 銭湯の娘役の花ちゃん

杉咲の演技は上手い。顔立ちは地味ながら愛嬌があり、私の好きな「若い女優」である。

私が彼女を女優として認知したのは、世間と同じく味の素のCMで回鍋肉を食べるシーンを見てだと思う。

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以来ドラマとかで見かけると、存在感あるなぁと思っていたのだが、この映画が公開されたときに、番宣で『しゃべくり007』に宮沢りえと出演した回があった。

杉咲はトークで「『とと姉ちゃん』に出てから皆をくすぐるのがマイブームで…」と言って、ネプチュ-ン原田をくすぐりながら、なぜか

「ウィーィッヒヒヒィー!」と笑い転げていた(逆に、くすぐられている原田が「全然くすぐったくない」と全く笑ってないのにウケた。)

この光景を見て私は、「か、可愛い…」 一目惚れした。

笑い声を文字起こしすると「ウィーィッヒヒヒィー!」である。私は今まで、こんなに珍妙な笑い声をあげなら、ここまで無垢に笑い転げる女性を見たことがない。

f:id:akihiko810:20171018025758j:plain 笑い声が超ヘンでかわいい

その笑い転げる様に一目惚れした。しかしこの一目惚れは、「好き。付き合いたい」という感覚とは違った。私はおそらく、一回りほど杉咲の年上だろう。彼女と付き合いたいというより、妹になってほしいと思った。いや、妹だと近すぎる …親戚のおじさんになりたい。

そう、「親戚のおじさんになりたい」と思った。たまに会ってご飯でも食べながら話をして、そのときに「ウィーィッヒヒヒィー!」と奇妙に笑い転げて、私を癒してほしいと思った。

他愛のない話をしたら、なぜか彼女が「ウィーィッヒヒヒィー!」と笑い転げて、それにつられて私も笑ってしまう。彼女が「くすぐってあげるよ」と言って、笑い転げながら私をくすぐるが全然くすぐったくない、「くすぐったくないよ!」と私がツッコむと、やっぱり「ウィーィッヒヒヒィー!」と笑い転げる彼女 ーーそんな素敵な時間を過ごしたい。

そしたらおじさん、回転ずしでも回鍋肉でも何でもごちそうしてあげるわ。いやむしろごちそうさせてください!な気分である。(とはいえ、杉咲の方が私よりよっぽど金持ってるだろうけど)

 ーーというわけで、マンガ『私の少年』みたいに、「年下女優・杉咲花と一緒に楽しい時間を過ごしたい!俺も年下に癒されたい!」という、私(おっさん)の妄想記事なのであった。

と、ここまで書いて、私の少年』が男女逆になると一抹のキモチワルさが出てしまうことが実証されてしまうのであった(苦笑 さすがに俺もキモイことを書いてるのは自覚しているぞ!)

ところで杉咲花は、今ウィキペディアみたら97年生まれとのことで、現在20歳のようだ。顔立ちが幼いのか、高校生程度にしか見えないけどなぁ。

意外と大人だが、それでもやっぱり恋人ではなく親戚のおじさんになりたい(笑)

そして、肝心の映画『湯を沸かすほどの熱い愛』だが、いじめられている杉咲がいじめに抗議して、教室で下着姿になるシーンがある。

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このシーンを見ても、特に「眼福!」とうれしいわけでも、ドキっとするわけでもなく、ただ「わかったから、とにかく服着なさい!」となぜか保護者のような複雑な気持ちになってしまうのであった(苦笑)

だから私は、これからは杉咲花の概念上の保護者(エア保護者)として彼女を見守っていきたいと思う。もし彼女がお嫁にいくことになったら、エア祝辞を出して泣いてお祝いするつもりだ。 <了> 

 

 過去記事:女優・大後寿々花と、クンニ顔という概念

1年程前に書いた、大後寿々花 についての極私的女優論