文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

鎌谷悠希『しまなみ誰そ彼』を読む ~LGBTというマイノリティの生き方と、コミュニティーの可能性を探った大傑作

鎌谷悠希『しまなみ誰そ彼』全4巻。

広島県尾道(おのみち)を舞台に、性と生の在り方を描いた作品だ。

本作は「生き方とコミュニティの可能性」を探った大傑作漫画だと思うので紹介したい。

あらすじ~~~

クラスメイトに、ホモ動画を観ていることを知られた、高校生のたすく。たすくは幼い頃から男性を好きになっていた。周囲から“ホモ”とからかわれるようになったたすくは、自分の性的指向がばれてしまうのではないかと怯え、自殺を考える。そのたすくの前に、「誰かさん」と名乗る不思議な女性が現れた。

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「誰かさん」に言われるまま導かれて辿り着いたのは、「談話室」という集会所だった。「談話室」に集う、空き家再生事業に携わるNPO「猫集会」のメンバー --同性愛カップルや、性転換者、性自認が揺らぐ男の子ーーとの交流を通して、たすくの心に変化が訪れる…。

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田亀源五郎『弟の夫』と同じく、LGBTをテーマにした作品。作者の鎌谷はXジェンダーであることを公言しているらしく、田亀のようにゲイで自身の体験を含めてLGBT問題を描いた作品であることも共通している。

本作では、談話室に集う人々は皆なんらかの性的マイノリティーであり、アウティング問題や、世間の「善意で無自覚の偏見」との軋轢などの問題に直面し、これが『しまなみ~』の物語となっている。

登場人物の背景などはこのブログ記事に詳しい。

『しまなみ~』の面白さは、まず、登場人物たちがそれぞれの悩みと向き合い立ち向かっていく様子にあると思う。

登場人物も自身がゲイであることに悩むたすくを初め、皆が皆、性的マイノリティーであるという悩みを持っている。その悩み、つまり「弱さ」を抱えていることで、非常に人間味がある人物描写になっている。

その人物描写が面白いのはもちろんなのだが、私が面白いなと思ったのは、「談話室」というコミュニティーが、<やさしく>て、そして<ゆるい>つながりでありながら、「結びつきは強い」共同体として描かれていることだ。

どういうことか。まずは<ゆるい>の意味からみてみたい。

<ゆるい>の意味の一つは、「所属するのに資格はいらない」ということだ。

「談話室」にはLGBTの人々が集っているが、そこには誰でも所属することができる。作中でもLGBT以外の人が、空き家再生事業NPO「猫集会」に携わる描写がある(しかしその人は、LGBTへの「善意の偏見」があり、トラブルを起こしてしまうのだが)。

そして<ゆるい>の意味の2つ目は、相手への過度な干渉や期待はしないということだ。誰が入ってきても自由だし、誰が来なくなってもそれもまた自由なのだ。

そしてそんな<ゆるい>コミュニティーでありながら、共同体としての「結びつきは強い」。

「強い結びつき」の例として、作中にはこんなエピソードが登場する。

「談話室」メンバーの同性愛カップルが、同性婚で結婚式をあげることになった。たすくたちも楽しみに行くのだが、式の当日、会場となる「自分たちで再生させた空き家」には、「ホモレズきえろ」と落書きがしてあった。

これを見たたすくは一瞬絶望するが、いっしょに来た友人の椿ーーかつて、自身の同性愛嗜好に気づきながらも目を背け否定していたから、同族嫌悪で性的マイノリティのたすくたちに心無い言葉を投げかけていた同級生だーーが、新婦たちが来る前に率先して落書きを消そうとする場面がある。

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私はこのエピソードを読んだとき、「なんて強い結びつきのある共同体なのだろう」と思った。

「強い結びつき」の共同体となる秘訣は何なのだろうか。

作中にこんな台詞がある。たすくが結婚式に出席することを、親に説明するときに言う台詞だ。結婚する人はたすくにとってどんな人か聞かれて、たすくは答える。

お世話になった人なんだ。 僕に座る椅子を勧めてくれた。

だから、お礼をしたいんだ。

 座る椅子を勧めてくれた、とはもちろん、「自分が自分である場所、居場所をくれた」ということだ。

たすくは同性婚する彼女たち(とそして仲間たち)に恩と感謝があった。だから、お礼をしたいと。

しかし、「恩」と「感謝」だけでは、まだこの「強い結びつき」の理由の半分だけのような気がしてならない。

その根底には、相手への「理解と共感」があったのではないだろうか。そしてこの「理解と共感ーーつまりは相手への想像力だーー」こそが、「<やさしく>て、そして<ゆるい>つながり」でいう<やさしさ>なのではないだろうか。

だからこの作品は、相手への想像力こそがコミュニティーの強度を担保する、ということを示しているのではないかと、私は読んだのだ。

そういえば、社会学者の宮台真司は、「幸せには絆のある人間関係が必要。しかし人間、絆にはタダ乗りができない。社会はいいとこどりができない。絆には、絆コストを払うことが必要」というようなことを、色んなところで言っていた。「参加コストを支払わずに、包摂に預かることはできません。」と。

それならば、想像力を伴った<やさしさ>こそが「絆」といえよう。

『しまなみ~』は、性的マイノリティの人たちが、共同体のもたらす絆によって、自己を肯定していく話なのだ。

<ゆるい>つながりーー誰でも自身の意思で所属出来て、退会できるーーの共同体だからこそできること、というのも示唆的だ。たまたま生まれた地元で強制的に参加させられる共同体(たとえばイスラム共同体)とは違い、自由意志で所属するかしないかを決められる「選択的共同体」の魅力だ。

『しまなみ~』は、私たちがこれからの社会で幸福に生き抜いていくための、コミュニティーの可能性を示した作品なのだと私は思う。

皆さんにも是非とも手に取ってほしい作品だ。これを傑作と言わずして、なんといえばいいのだろうか。  <了>

 

本日のマンガ名言:

お世話になった人なんだ。 僕に座る椅子を勧めてくれた。

だから、お礼をしたいんだ。