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文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

浅野いにお『おやすみプンプン』を読む ~浅野いにおと、ポストモダンという憂鬱

このマンガを読むのだ マンガ文学論

友人から借りて読んだ浅野いにおおやすみプンプン』。浅野いにおといえば「オサレサブカル漫画」の第一人者として若者に人気、一方で「サブカル臭いだけの薄っぺらい雰囲気漫画」として、いにお読者も「サブカル気取りのダサイ奴」扱いされてやり玉にあげられ、評価が真っ二つに二分する漫画家である。

私としては、いにお漫画は、まぁそれなりに読むけど、かといって大好きでもないレベルか。

おやすみプンプン 7 (ヤングサンデーコミックス)

おやすみプンプン 7 (ヤングサンデーコミックス)

 

 今回は『プンプン』後半部(7~13巻)のあらすじ。

前半部(小学生、中学生編)のあらすじは他ブログのこちらで。

 【ネタバレあり】おやすみプンプン~絶望に引き込まれる~【中学生編の感想・考察】 - 社会のルールを知ったトキ

あらすじの主軸はこう(『プンプン』は主軸となる話のシークエンスの他に、主軸とはかかわりのない話が挿入されて、ある種の群像劇のように物語が構成されている)~~~~~~

高校を卒業したプンプンは、一人暮らしすることを決意する。「一年後…今の状況と何も変わらなかったら、自殺する」と決めて。

そんな無目的で輝きのない毎日を送っていたプンプンは、小中学生時代の想い人・田中愛子がこの町にいることを知る。プンプンは愛子ちゃんと再会することを願うようになった。その一方、南条幸という漫画家志望の女性と出会い、漫画の原作を依頼される。そして幸とはお互い好意を寄せあう中になるが、プンプンの心には愛子ちゃんの影があるため、恋人同士として付き合うまでには至らない。

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<<<新興宗教の教祖の息子・ペガサス(星川としき)は、来る七月七日に世界が滅亡すると予知し、それを予言する>>>

そんな中、プンプンは愛子ちゃんと、自動車の教習所で運命の再開を果たす。

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幸との関係はーー彼女は、元旦那(実はバツイチだった)との子供を身籠っていた。しかし彼女は、プンプンのいない日々は考えられないから堕胎するという。堕ろす日には病院に一緒についてきてほしいと言うが、当日になって「やっぱり君には甘えたくないから」、来なくてもいい。時間までは待っているから、君の判断に任せると。

プンプンは、幸の元には行かなかった。ーーその日、愛子ちゃんが家に来たから。彼女は何か事情を抱えてるらしい。プンプンは愛子ちゃんとセックスする。

愛子ちゃんは「家を出たい」と言う。一人親の母親から監視の名の元に虐待されていたのだ。二人は愛子ちゃんの母親の元にそのことを告げに行く。プンプンは思う。やっぱり愛子ちゃんは運命の人だったのだ、と。

しかしーーそこにあったのは破滅の幕開けだったーー愛子ちゃんの母親はそれを受け入れなかった。刃物をもって愛子ちゃんを襲った。それを見たプンプンはーー首を絞めて殺した。

死体を埋め、途方に暮れる二人。プンプンは「小学生の頃、一緒に鹿児島に行く約束をした」ことを思い出す。二人の逃避行劇が始まる。

幸はあの日、結局病院に行かなかった。あれ以来連絡が取れなくなったプンプンを探し始める。

プンプンたち二人は鹿児島の種子島に着いた。二人の逃避行劇は、目的があるわけではなく、まるで破滅に向かったものだった。プンプンはこの場所で二人心中しようとする。愛子ちゃんの首を絞めようとしたとき、愛子ちゃんは「あのとき母親にとどめを刺して殺したのは私」と告白する。そして「この島で暮らしたい」と。

生きる希望がかすかに沸いた二人であったが、遅かった。愛子ちゃんの母親が殺されたこと、その娘が行方不明であり事件に関係しているとみて捜査している、とテレビで報道されてしまったからだ。

二人は町を出てまた逃げることに。二人は民家を見つける。愛子ちゃんは交番に出頭すると言う。プンプンは「愛子ちゃんの罪を僕が被る」というが、それは拒否される。愛子ちゃんは言う。「小学生の時、流れ星にプンプンと両想いになれるように願ったんだ。それが叶ったなんて幸せ」「もしお互い離れ離れになっても、七夕の日はお互いを思い出そうね」

二人は眠りーープンプンが目を覚ますと、愛子ちゃんは首を吊って自殺していた

<<<新興宗教の教祖の息子・ペガサスは、来る七月七日に世界が滅亡することを回避するため、同志達(ラヴァーズ)と共に焼身自殺する>>>

ーーー七月七日。プンプンは東京に戻る。小学生時代の思い出の場所で、自殺しようと首を突いた。流れ星が流れる星空を見ながら思う。ああやって燃えるように一瞬で消えることが出来たらどんなに楽だろうとーー。

そこに現れたのはだった。「つかまえた」ーープンプンは図らずも助かったのだった。

ーー何年後かの七月七日、プンプンは愛子ちゃんの事を想いだしていた。そして彼女に言う。自分は今、月並みに働いていて、幸の漫画は順調だ。幸の子供は僕になついてくる、と。さらに続ける。「この先ずっと七夕の空は永遠に曇り空で、それでも世界は終わらないから、僕は先に進まなきゃならないんだ」

プンプンの日常はーーいや、すべての人の日常は今日も続き、新しい物語が始まろうとしている。   完

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『プンプン』はいわゆる日常憂鬱漫画(終わりなき日常が永遠に続く辛さを描く)である。このタイプの漫画では、このブログでは古谷実シガテラをとりあげた。

古谷実『シガテラ』を読む ~毒を孕んだ日常のその先にあるものは…絶望か?あるいは希望か?

「日常憂鬱」路線に、村上春樹ノルウェイの森のような「片一人の女性が破滅(自殺)する、三角関係」を加えた物語、といったところか。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

 

いにお漫画の批判としてよくあがるのは「雰囲気だけで薄っぺらい」、もっと極端にいえば「で、結局何が言いたいの?」という身も蓋もない感想である。

これは批判意見としては、決して的外れとはいえないと思っている。

なぜなら、いにお漫画(といっても私は、完結作は他にはまだソラニンしか読んだことないのだが 苦笑)は、「何もない日常を生きる<カラッポ>な主人公が、物語において非日常的な『通過儀礼を経験する。そしてまた日常に回帰するが、主人公は通過儀礼を迎える前と同じく、<カラッポなまま>の自分を抱えながら生きる」というモチーフだからである。つまり、「物語という<通過儀礼>を経ながら、何も成長してない(ようにみえる)」のだ。

通過儀礼(試練)を経ても成長しない(というより、成長できない)」というのは、「成長という物語」という近代的価値観が効力を失った、「ポストモダンである現代社会」の空気感と非常にマッチしている。

『プンプン』に面白い場面がある。第9巻で、漫画家を目指す幸が描いたマンガを、編集者が駄目出しするシーンだ。いわく「雰囲気でゴリ押ししてるだけで中身薄っぺら」「主人公が勝手に自己完結してて、こんなんじゃただの絶望ごっこにしかみえない」。これは典型的な、いにお批判の常套句である!(笑)

当然ながら、いにおは確信犯的に描いてるだろう。

こんな場面もある。同じく第9巻では、東日本大震災によって、原発が爆発したとテレビから流れてくる。友人は幸に「平凡な日常で退屈を嘆くような漫画、もう意味ない」と助言する。それに対して幸は「この程度じゃ変わんねーよ!仮に世の中がどうなったとしてもお前こそ変わんない!」と答える。

しかも当の漫画『プンプン』も「平凡な日常で退屈を嘆くような」漫画として続いていくのだ。(11巻から、物語は「殺人」という事件を伴って、大きく動き出す)

 社会学宮台真司が、著書『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』の項 ■〈終わりなき日常〉の三つのレイヤー で

3・11後、「終わりなき日常は終わった」と発言する輩がいたが、〈終わりなき日常〉は終わっていない。概念的に言って、終わるはずがない。(全てはシステムの産出物に過ぎないという意味でのポストモダンが、定義的に終わらないのと同じ意味)

と述べているのとダブる。

私たちはどこから来て、どこへ行くのか

私たちはどこから来て、どこへ行くのか

 

私は『おやすみプンプン』を(批判的にではなく肯定的に)評価するとするなら、「現代という終わりなきポストモダンがもたらす憂鬱を、主人公の半生に重ねて描くことで浮き彫りにした」という点であり、さらにいうなら、「ポストモダン的社会では、物語の主人公(あるいは現代の若者)には典型的な<通過儀礼における成長>は機能しない……たとえそれ(通過儀礼)が<死>ですらも!」という一種の絶望的な物語を提示したことだと思う。

プンプンは、「殺人と逃避行、さらに彼女の自殺」という非日常的な通過儀礼(殺人や愛子ちゃんの、だ)を経た結果、彼が選ぶのは自殺であった。いや、それすらも幸というもう一人のヒロインの助力によって助かって(つまり妨げられて)しまい、彼はついぞ自力で何かを成就することは叶わなかった。

ここにはつまり、このポストモダン的現代を生きる」ことは、何かしらを得ること(つまり成長すること)から見放されてしまっている、という絶望が描かれている。

この絶望こそが、幸のマンガに対する感想「まるで絶望ごっこ」の正体であり、そして『おやすみプンプン』を終始覆う、なんとも憂鬱になる読み応えの正体なのだ。

そしてその上で、生き延びてしまったプンプンは、物語の後もポストモダン的現代をーーつまり「何かしら得る」ことから見放された世界をーー生きていくことになるだろう。

プンプンはこの物語の先に、何かを(たとえば幸との家庭や、あるいはささやかな幸せを)得ることは出来るのだろうか?

作者インタビューによると、プンプンが事故死するエンド、も作者は考えていたという。

一番みじめでイヤな終わり方を、トゥルーエンドにしたかった。|【完全】さよならプンプン【ネタバレ】浅野いにおインタビュー|浅野いにお|cakes(ケイクス)

 仮にこのエンドだったならば話は簡単で、『おやすみプンプン』はプンプンの死をもって、「ポストモダン的現代では、生きても何も得るものがない。以上」という解釈の物語で終わっただろう。

しかし、この物語は最後に、プンプンはこれからも生きていくーー彼だけでなく、人々が今日も生きて新しい物語を紡ぎだそうとしていることが描かれている。

おやすみプンプン』は、「成長という物語」が失効したポストモダン的現代ーーたとえ何か得ることが困難な世界にあったとしてもーーをプンプンの半生を通して描きながらも、ラストに人々が生きる様、「生きるということは、事実としてそういう姿勢でいることなのだ」という「絶望のその上でも<生を肯定>する」ことをも描いたことによって、名作たりうるのではないかと思う。

あと最後に話を変えて、『プンプン』の物語の構造をみてみると、プンプンパートの合間に挿入される、一見物語の主軸とは関係なさそうな奇行を繰り返す謎の男・ペガサスが、実は本当に(プンプン達のあずかり知らぬところで)神の啓示を受けていて、世界を破滅から救うーー従ってプンプン達はこの世界の日常を生きていられるのだーーという、『プンプン』のストーリーとしては<物語の裏>の立場にありながら、『プンプン』の世界では<実は世界の中心にいた>ということが読み進めていくと解き明かされていくところが面白い。

もしかしたら、所詮は我々が生きている人生も、神だか誰かの手の平の上で踊っているようなものなのかもしれないのだから。      <了>

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本日のマンガ名言:グッドバイブレーション(謎の男・ペガサス)

 

追記:他に『プンプン』論では、この記事が一番良記事だと思います。ぜひお読みに

過去の呪縛から逃れられない男 『おやすみプンプン』感想文 - (チェコ好き)の日記