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文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

手塚治虫『地球を呑む』

手塚治虫『地球を呑む』の手頃な感想がweb上にないようなので書く。そこそこ分厚いハードカバーが、ブコフで百円だったので読んだ。

手塚の初の大人向け長編らしく、手塚は気合を入れて描いたのだろうか、話もエロい。『地球を呑む』の連載開始は68年、『ブラックジャック』の連載開始(73年)よりも前の作品である。いわゆる手塚の「冬の時代」(1968年-1973年)、少年誌でのヒットが出せずに、活動の場を青年誌へと移行しつつある時代だ。

地球を呑む (小学館叢書)

地球を呑む (小学館叢書)

 

 あらすじ。この物語は全二十章からなる。各章のすじは以下のページ参照(以下リンクを読んでから、私の文を読んだ方がいいかも)

地球を呑む(Swallowing the earth) - 手塚治虫 のすべて

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時は第二次世界大戦、昭和17年8月。 南太平洋ガダルカナル島へ出征した日本兵・安達原鬼太郎、関一本松の二人は、
自分達が殺したアメリカ兵が持っていた写真に写っていた、絶世の美女に心を奪われる。2人はこの美女の行方を探るも、「ゼフィルス」という名前である事以外、手掛かりを掴む事が出来ないまま月日は過ぎていった。

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それから20年後、今や大企業の社長となった安達原は、取引先からゼフィルスが来日してホテルに滞在しているという知らせを聞き、関一本松の息子、関五本松にゼフィルスの調査を依頼する。

関五本松は、真面目ながら気ままに生きる偉丈夫で、性欲以上に酒を愛し、「地球を呑みつぶす」という野望があると言ってのける男であった。

五本松はゼフィルスの滞在するホテルを訪れ、ゼフィルスと出会う。次いでゼフィルスの住処であるというマムウ共和国を訪れる。ここから彼の奇妙な冒険が始まる。

マムウ共和国でゼフィルスの正体が明かされる。彼女はーーいや彼女たちは母親と同じ名前を名乗り、絶世の美女の姿の人工皮膚「デルモイドZ」を纏った7人姉妹であった。母ゼフィルスは生前・金と男に翻弄されて亡くなった。

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ゼフィルス姉妹達は亡き母の遺言に従い、

1.金が人間社会を狂わせ,幸福と自由を人々から奪っている。金の価値を暴落させる
2.法律と道徳という規範意識を破壊する。
3.世の男性という男性を殲滅させる。

という壮大な復讐の野望を抱き、マムウ共和国の金(きん)とその美貌を用い、世界中の権力者たちと密通し、その陰謀を遂行していた。

ゼフィルス達の末妹・ミルダは日本で滞在した頃に出会った五本松に一目ぼれして、その愛ゆえに姉達を裏切り、刑を受けかけたところを逃れ、日本へ向かう。

しかし、その間にもゼフィルスの計画は進んでいた。人口皮膚「デルモイドZ」を大企業に製造販売させたことで、世界各地で人工皮膚を使って他人に成りすました犯罪の横行、それによる検挙率の低下という「法の崩壊」、さらにマムウ共和国に秘蔵されていた超大量の金塊(マムウはムー大陸の末裔だという)を無差別にばらまいたことにより、金の価値が暴落し「貨幣経済の崩壊」が起きていた。

世界はその混乱、不況を止めようと戦乱が起こり……ついに世界は物々交換を基本とする原始的な社会体制へと退行して行く。

ゼフィルス達の陰謀は達成し、ついに「地球は呑まれてしまった」のだった。

ミルダは五本松と共に経済社会崩壊後の世界を共に生きようと決意するが、五本松は他のゼフィルス姉妹によって粛清され殺される。ミルダも捕まって監禁されてしまった。

さらにときは流れーーミルダと五本松の息子・六本松が、航海からマムウ共和国に帰ってきた。母ミルダと再会し話をしている途中、ゼフィルス達が「六本松はマムウ共和国の外を知っている、危険人物だから」と六本松を幽閉しようとする。ミルダは六本松を逃がそうとするが射殺される。六本松はマムウ共和国に爆弾を仕掛け爆発させ、脱出した。

ここにマムウ共和国は崩壊した。六本松の船は、いや、新しい人類文明の行く末はどうなっていくのだろうか…。   完

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この作品は「主人公五本松の冒険譚」として読むと、作品の出来としては「中の上」といったところだろうか。物語の終わり方も、収拾がつかなくなって無理やり終わらせた感がないわけでもない。

しかしこの物語は、「世界が破滅する(地球が呑まれる)過程」を主軸として読むと、お話の壮大さが「漫画のウソ、ここ極まれり」といった感じとなりめっそう面白い。

上下巻版のあとがきによると、「話が大きくなりすぎて話が収集がつかなくなった。途中で中だるみに陥ったので一時読み切り形式にした」そうで、12~14章は、五本松の冒険譚ではなく、読み切りとしても読める(つまりこの各章には、別の裏主人公が立てられている)話になっている。

五本松の冒険の裏で、世界はどのように変貌していってるのか、また変貌した世界の中で他の人間はどのように生きて(あるいは死んで)いくのか、といったことが描かれているのだが、文芸評論家の加藤弘一

特に13章の贋家族のエピソードは独立の短編としても傑作である。この暴走部分がなかったら、凡作で終わっていただろう。

と述べているように、 (文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ : 『地球を呑む』 手塚治虫

この読み切り章こそが、この作品を単なる「五本松の冒険譚」ではなく、「<地球が呑まれる>という壮大な物語」たらしめているといえる。

 

この『地球を呑む』、文学性に富んだマンガではけっしてないから、今回は「漫画文学論」ではなく、(もちろんこの作品は、文学性とは関係なく面白いマンガだ)マンガ紹介だけしか書かない。

とはいえついでにあえて、この作品の文学的な場面をあげるとするなら、やはり13章の贋家族のラストだろう。お互い自分たちは<偽物の家族>であることを受け入れながら暮らす彼らが、最後の別れの場面で、「美しい思い出のまま」残すために、今まで着ていた人工皮膚をマネキンにかぶせて去り、誰もいない家に残ったのは幸せそうな彼らの人形ーーというシーンはあまりに美しくせつない後味がある。