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文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

業田良家『自虐の詩』を読む ~「人生には明らかに意味がある」、<関係性の履歴>と人生の意味

「このマンガは絶対に読む価値がある」

永井均『マンガは哲学する』でそう賞賛された、文字通り「人生において必読」の傑作。 

マンガは哲学する (講談社プラスアルファ文庫)

マンガは哲学する (講談社プラスアルファ文庫)

 

それが業田良家自虐の詩である。四コマ漫画であるがストーリーは連続している。四コマ大河漫画といってもいい。ギャグ漫画でありながら「日本一泣ける四コマ漫画」というあまりセンスのないキャッチコピーで売られているがーー実際にそれは間違いないのだがーー、そんな陳腐なキャッチコピーでは十全に言い表せない、とにかく壮絶な感動作だ。

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

 

 あらすじ。

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 主人公である幸江(ゆきえ)は、何かというとちゃぶ台をひっくり返して怒る亭主・イサオと暮らしている。イサオは働きもせず、ラーメン屋で働く幸江の収入で暮らす、元ヤクザのヒモである。はた目には幸江は全く幸せには見えないが、彼女はイサオを愛している、というよりイサオに依存しているように見える。なぜ幸江はイサオと別れずに暮らし、イサオを愛しているのだろうか?

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上巻は延々と、苦労する幸江、イサオがちゃぶ台返しして終わる(オチとなる)4コマが飽きるくらいに続いていくが、下巻から次第に幸江の過去の回想ーー彼女の悲惨で壮絶な過去ーーが明らかになってくるにつれて、読者は幸江のイサオへの愛情とその理由を知るようになる。

幸江の小学生時代。幸江にはもの心つく前から母親がいない。夫に愛想尽かせて出て行ったらしい。幸江の父はろくに働きもせずビンボーで、娘の幸江を働かせている。幸江は父の借金取りにも同情される始末だ。

中学生時代。幸江は唯一の友人熊本さんができる。熊本さんは幸江同様ブサイクであり、そして(おそらく幸恵よりも)貧乏であり、クラスの中では迫害される存在だ。幸江は唯一の友人熊本さんと、二人だけの友情を育む。

だが熊本さんが学校を休んだある日、憧れであった藤沢さんからお弁当を食べようと誘われ、藤沢さんグループに入ってしまう。幸江にとっては夢のように幸福な時間であった。しかし熊本さんが学校に復帰してくると、幸江は藤沢さんのグループから離れたくないために、藤沢さんたちと熊沢さんの影口を言いだし、あろうことか学校の備品を盗んでいた熊本さんの罪状をばらしてしまう。熊本さんはクラス中から無視され完全に孤立してしまった。

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しかしここで幸江に不幸が襲い掛かる。幸江の父ちゃんが愛人に金を貢ぐために、銀行強盗を犯してしまうのだ。

幸江はそれによってクラスから腫れもの扱いされ孤独になってしまう。どうして私だけこんなにも不幸なのか、いっそ死んでしまった方がーー。

こんな状況の幸江に手をさしのばしてくれたのが熊本さんだった。久しぶりに一緒に帰る二人。しかし河原に来ると、熊本さんは幸江をボコボコに殴って言う。「なんで私を裏切ったのか」。ボコボコにされるがままに殴られながらただ謝る幸江。熊本さんはさらに言う。「このまま、謝り続けながら、殴られたままで一生生きていくつもり?そんなヤツとは、友達でいられないじゃない。殴り返さないの?」その言葉に、大きな石で殴り返す幸江。卒倒してしまう熊沢さんに幸江は言う。「死なないで、熊本さん。私を一人にしないで。私の友達はあなたしかいない!」意識を取り戻す熊本さん。そして二人は「私たちは一生の友達!」と腫れた顔で抱き合うのだった。

熊本さんからの助言もあり、卒業後、幸江は東京へ出る。

話は現代に戻る。幸江はイサオの子を妊娠する。産むことを決意する幸江。旦那が旦那だけにアパートの隣の部屋のおばちゃんは心配する(そりゃそうだ)。そんなおばちゃんに幸江はイサオとの過去を語る。

東京に出た幸江は、シャブ中の売春婦(立ちんぼ)に身を落としていた。その境遇の中出会ったのが、ヤクザのイサオだった。イサオは幸江に惚れ「こんな仕事はあなたには似合わない、もうやめなよ」と幸江のことを気にかけるが、幸江は全く意に介さない。それでも幸江のことを案じるイサオ。あるとき幸江は自暴自棄になって手首を切るが、イサオがすぐさま助ける。幸江は次第にイサオを受け入れる。イサオは幸江と付き合うために、ヤクザから無理やり組抜けした。ーーかつてイサオが幸江を窮状から救ったことが、ここで読者に初めて明かされる。

妊娠した幸江は、自分を捨てた母の夢を見る。なぜ私を捨てたのかーー。恨んでやる!幸江は顔も知らない母の首を絞める。母は苦しみだす。首を絞められたからではないーー母が臨月だったからだ。その母の股が割れ、そこから出てくるのは赤ん坊の幸江。

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幸江ははっと目を覚ます。そのとき幸江は産まれたときの記憶を取り戻し、母を許した。そして気づく。「みんな母から生まれた そしてこの子は私から生まれる」のだと。

 幸江はどこにいるかもわからず、会ったこともない母親に向けて手紙を書き、宛先もないその手紙をポストに投函する。

「私は幼い頃、あなたの愛を失いました。 私は愛されたかった。ーー

でもそれがこんなところで、 自分の心の中で見つけるなんて。 ずっと握りしめていた手のひらを開くとそこにあった。 そんな感じで。

おかあちゃん、これからは何が起きても怖くありません。 勇気がわいています。 この人生を二度と幸や不幸ではかりません。

なんと言うことでしょう。 人生には意味があるだけです。 ただ人生の厳粛な意味を噛みしめていけばいい。 勇気がわいてきます。

おかあちゃん、いつか会いたい。 そしておかあちゃん、 いつもあなたをお慕い申しております。

追伸、私にももうすぐ赤ちゃんが生まれます。」

物語の最後、二十年ぶりに熊本さんから再会の電話がかかってくる。彼女も結婚して幸福になっていた。

かつて幸江が逃げるように東京へ出てくるとき、熊本さんはなけなしのお金から、大金の百円札を餞別に幸江を見送りに来てくれたのだった。

幸江は臨月のお腹を抱えて、東京駅まで会いに行く。使わずに手元にとっておいたその百円札を持って。

ラストは熊本さんと涙の再開を果たし、印象的なモノローグをもって物語は閉じる。

「幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに意味がある」 完

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 感動的である。そこには小細工も、奇も衒(てら)いもない。ただ実直なメッセージーー「人生には明らかに意味がある」という断言があるだけである。

では、その「人生の意味」とは何だろうか?

と、その「人生の意味」を問うにあたって、そもそもそれは「哲学的に正しいのか」と哲学者の永井均は考察していたので紹介したい。

永井は『マンガは哲学する』(冒頭に紹介した本)において、こう疑問を投げかけている。

 感動的であるがー(略)ー幸江にイサオが現れず、そもそも熊本さんとも出会わなかったとしたら、それでも幸江は「シャブ中の立ちんぼ」の境遇のままで、人生にはーー幸や不幸ではなくーー意味があるのだというこの覚醒に到達できたであろうか。そうは思えないのだ。たまたま事実として、彼女は幸福になれたようにしか見えないのだ。

 私もこの意見に賛成である。「人生に意味がある」のではなく、「己の幸福を自覚できたからこそ、己の人生の意味を実感できている」のだ、という解釈が正しいように思える。

では、幸江に幸福をもたらしたものとは何だろうか。この物語を読んだ方ならすぐにわかるだろう。

それはイサオや熊本さんとの、苦難の日々や何気ない日々を過ごしてきたという軌跡ーーつまり他者と<関係性の履歴>を更新してきたという、その履歴が幸江に幸福を実感させたのだ。イサオとの妊娠や、熊本さんとの再会という幸福な出来事は、ただその<関係性の履歴>のわかりやすい「表れ」にすぎない。その根底にある、あるいはそこに至るまでの、苦難の日々を共に過ごした、何気ない愛おしい日々を一緒に過ごしたという「関係性の履歴」こそが、幸江の支えであり幸せへとつながったのだ。

だからこそ幸江は「幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある」と心の底から思えるのだ。幸江が経験してきたすべての苦労(関係性の履歴)が、今の幸江を形作っているのだから。そしてこの「私は関係性の履歴を育んできたーーそしてだからこそ今の私がある」という実感こそが、幸江に「人生には明らかに意味がある」という覚醒をもたらしたのだ。

そしてこの覚醒に至った幸江は、手紙での言葉通りに、これからの人生を「幸や不幸ではかる」ことはないだろう。なぜなら、その幸不幸ーー他者との関係性の履歴ーーこそが人生の中身そのものであると理解しているのだから。だから幸江はこれから、子供を産み、夫イサオに苦労しながらも、それでも幸せにーー愛しき人と共に苦労していくことそのものが人生の中身でありそれこそが「幸せ」なのだーー生きていくだろう。

これが『自虐の詩』の提示する「人生の意味」である。

そして『自虐の詩』がもたらす感動は、私たち読者に「あなたは人生の意味ーー他者との関係性の履歴ーーをもっているか」と問いかけてくる。

<関係性の履歴>をもつ者はーーたとえ今現在、自分は不幸だと感じている者であったとしてもーー幸いである。その先にこそ「人生には明らかに意味が」あり、手ごたえのある人生の実感があるのだから。  <了>

 

今日の漫画名言:人生には明らかに意味がある