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文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

よしながふみ『愛すべき娘たち』を読む ~不完全な女たちと、愛すべき彼女たち

このマンガを読むのだ マンガ文学論
愛すべき娘たち (Jets comics)

愛すべき娘たち (Jets comics)

 

 よしながふみの、女性(娘)をテーマにした連作短編集『愛すべき娘たち』

この漫画はよしながふみの数ある作品の中ではマイナーな部類だろうと思う。私はブコフの百円コーナーでたまたまみつけて買った。初見だった。

ネット上にあまりレビューはないだろう…と思ったが、そこそこの数があるようだ。*1

 

この作品は、ある一人の独身女性・雪子を軸に、母娘(雪子とその母)の物語に始まり、2話以降は雪子の友人女性たちの物語へと移り、最終話で雪子の母と祖母の物語、つまりまた「母娘の物語」に遡(さかのぼ)り還って終わる構造をもつ。

各話のあらすじはこちら 愛すべき娘たち  にゆずるとして、第1話と最終話をレビューしてみたい。

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第1話

雪子の母・麻里は気が強い。高校時代、片づけをしない雪子の私物を母は捨てようとする。雪子が「そういうのって八当たり」と言うと「そうよ、八当たりよ悪い?」「親だって人間だもの、機嫌の悪いときぐらいあるわよ!」と返してくるような母だった。

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そんな母が病気して快復して以降、気が弱くなったのか、年下の男と再婚する(というか、もうした)と言い出す。相手は雪子より年下の時代劇俳優志望の男・健だった。

絶対に母はその男に騙されているという雪子だったが、どうやら健は本当に母(麻里)のことが好きなようだ。健は若いときの麻里の写真を見て「きれいだ」と言う。雪子は、私も綺麗な母だと思っているが、本人は自分の顔が好きではない、小さいころ親から「出っ歯だ」と言われて育ったそうだから、と。

今まで母と健に強い態度をとっていた雪子は、健と母が仲良くしている場面をみて決意する。「私家から出ていくわ。今まで黙っていたけど職場の同僚とつきあっていたの」

荷物をまとめる雪子は健に胸の内を明ける。「ずっと私だけのお母さんだったのよ」

「ごめんね、でも本当に好きになっちゃったから」「わかってるわよ、だから私も出ていくの」 …それを見た麻里は、ひとり涙をこらえる雪子の背中に寄り添うのだった。

 

1話は<「母の人生」と「自分の人生」が分離されることで、娘は今まで自覚してなかった、「自分の中の母の存在の大きさ」に気づく>という話。

そして最終話では「この母あり」に至るまでの、業、あるいは因縁が描かれ、この母娘の人生の、ある種の謎解きになる。

 

 最終話

実家の葬式。雪子の母親麻里は、祖母(つまり麻里の母)と仲が悪い。陰で「実の親でも、あのばあさんが死んでも泣かないわ」と言う。

麻里は母から「出っ歯だ、顔がニキビだらけ」と言われ続けながら育ったからだった。

回想。子供時代の麻里。弟の方が悪いのに、母は自分だけを叱る。弟ばかり贔屓してと言うと母は「あなたの為を思って叱るのよ」と泣く。そのとき麻里は思う。「私が親になったとき、私もきっと完璧な親じゃない。八当たりで怒ることもあるだろう。でもそのとき『あなたの為を思って』なんて嘘はつかないんだ

話は現代に戻る。麻里は母を反面教師にして、娘の容姿について無神経な事を言って傷つけまいとしてきたと語る。

雪子は祖母の家に行く。家にある母の少女時代の写真を見ると、それは可愛い少女だった。なのになぜ祖母は自分の娘に対し、容姿の欠点ばかりあげつらっていたのか?

雪子は祖母に問う。祖母は顔をゆがめて答えた。

ーー祖母には若い頃、容姿のよさを鼻にかけ平然と人を傷つける同級生がいた。その同級生のことなど忘れていたが、自分の容姿がいいと気づいた娘麻里の振る舞いを見たとき、娘がその同級生と重なった…。

「私これ以上この子ちやほやされたらこの子は駄目になると思ったの。麻里のことをあの人のような人間にしてはいけないと思ったの!」

それ以来、娘の顔はわざと褒めないようにしてきた…と。

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雪子は悟る。 母というものは要するに 一人の不完全な女の事なんだ……

雪子は母の家に戻り、健にそのことを話した。健は言う、彼女もそれはわかっているだろう、だがそれで彼女のコンプレックスがなくなるわけじゃない。親を好きになれなかったのは不幸だけど、僕は彼女を愛している、と。

帰宅した母に雪子は言う。「私はお母さんが死んだら、お葬式ではうんと泣くからね」

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「不完全な母と不完全な娘、そしてまたその娘が不完全な母となる…」この因縁を雪子が悟る場面は圧巻だ。

雪子は、第1話から見るに「母の不完全さ」を理解していたはずだ。しかし祖母に「不完全さ」をみたことで初めてそれを言語化することができた。

「母とは不完全な女だ。だからつまり女とは不完全な存在なのだ」と。もちろん雪子は、自分自身も「不完全な女」だと気づいているだろう。

 

ここでこの連作を最初から読んできた読者は思うはずだ。今まで各話ごとに主人公(語り手)の女たちは変わってきた。雪子が一人称視点の話は最初と最後のみで、他は皆ある種の不器用さを抱えながら生きてきた女たち。サンドイッチのような構成になっている。

読者はこの最終話を読むことで、これは最初から最後まで「不完全な女」という一本の串によって連ねられた連作物語なのだ、と理解することができる。

そして同時に思うだろう。「不完全な女たち」なのは物語中の彼女たちだけでなく、もちろん読者我々自身のことでもあるのだと。

 

『愛すべき娘たち』は「不完全な女たち」の物語ーー不完全な者が不完全さ故に間違いを犯したり悲しくなったり、…でもそれでも前に進んでみようとする話だ。

そして彼女たちがそれでいて(不完全な存在でありながら)<愛すべき娘たち>である所以は、我々も同じく不完全であるからこそ、彼女たちを愛おしく思わずにはいられないからなのだ。

 最終話ラスト、雪子が母に「私はお葬式で泣くからね」と言うシーンは、静かな描写ながら感動的である。自らの不完全さを弁えた雪子が、「不完全な母<であるがゆえに>愛しているのだ」と初めて言語化するからだ。

『愛すべき娘たち』という作品は、不完全な存在である我々が、不完全な彼女たちを愛おしく感じるのと同時に、不完全な彼女たちから、不完全な我々へエールを送ってくれる…そんな作品なのだ。  <了>

 

本日のマンガ名言:母というものは要するに 一人の不完全な女の事なんだ

追記:よしながふみ論は、夏目房之介『マンガは今どうなっておるのか?』に載っている。『愛すべき娘たち』も少しながら言及され、「今のマンガは面白くない」という人がいるなら、とりあえずこれを読んでほしい。と絶賛している。

マンガは今どうなっておるのか?

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