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文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

ジョージ秋山『銭ゲバ』 ~社会はクソ、人は悪ズラ。銭ゲバは銭の夢をみるか?

今回紹介するのはジョージ秋山の傑作銭ゲバ

1970年に週刊少年サンデーに連載。ちなみに同時期、ジョージ秋山少年マガジンの方でアシュラを連載してた。こちらは食人描写もある。今の基準からみれば、というか当時の基準からみても、少年誌なのに容赦ない。さすがに小学生読者は読み飛ばしてたんじゃないか(笑) 

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4)

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4)

 
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)

銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)

 

「世の中金だ」とうそぶく人間、また逆に「金がすべてじゃない」と強がる人間もございますが、いずれにせよ人の世と銭は切っても切れぬ、ならば人はみな「銭ゲバ」じゃありませんか…

数年前の松山ケンイチ主演のドラマ化で、あらためて名を馳せたこの漫画。

ドラマは視聴率こそ取れなかったらしいが、ないようそのものの評価は高かったはず。主題歌(かりゆし58「さよなら」)も作品にあってたし。

銭ゲバDVD-BOX

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 さて以下『銭ゲバ』のあらすじ

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幼少期、極貧ゆえに愛する母を失い、カネの力をまざまざと見せつけられた少年蒲郡風太(がまごおり ふうたろう)。

青年に成長すると成り上がるために、大企業社長に取り入り、社長一家と会社を乗っ取ろうとたくらむ。邪魔になるものは容赦なく殺す。

そしてとうとう社長一家に取り入ることに成功し、社長を事故に見せかけて殺し、名実ともに社長の座を手にする。

そのうち刑事に目をつけられる風太郎、それを一体いかにかわしていくのか。

また、宿敵として社会派作家の青年秋遊之助が登場、公害問題という社会悪の根源として風太郎に目を付けたが、次第に「銭ゲバ」として生きる風太郎の壮絶な生きざまそのものに興味を抱いていく。はたして彼は風太郎の闇を暴くことができるのか…

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 というのが上巻。風太郎の顛末を軸にサスペンスとして読める。

下巻になると、財界の頂点を極めた風太郎は政界に進出することを決意。政財界の海千山千の魑魅魍魎たちにカネの力ですり寄り、蹴落とし、そして逆に罠に嵌められる…

殺人の容疑をかけられた風太郎、留置所から知事選に出馬、巧みな弁術で民衆を味方につけて当選。「銭ゲバ」はついに銭の力だけでなく、政治という力まで手に入れたのだった。

当選後、マスコミから「人間の幸福について」の原稿依頼をうけた風太郎、己の過去を回想しつつ彼が選んだ末路とは…

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さきの上巻あらすじで言及してないが、物語のターニングポイントとなる場面。

カネとそしてカネによる権力を手に入れた風太郎、それでも未だ手に入らぬものがあった。それは陳腐な言葉でいうなら、「愛」。カネの力による愛ではなく、カネの力が及ばない、純粋な、美しい愛。

そんなあるとき、偶然、純子という女子高生と出会う。風太郎のことを世間でいわれる悪徳社長と知っても、怖がることなく接してくれる。彼女は「銭ゲバ風太郎の癒しであり希望であり真実であった。

しかしある日純子は、風太郎に売春を要求してくる。どうしてもお金がほしいのと。

風太郎は激昂し彼女を撲殺してしまう。「きみは、わたしにとってたったひとつの真実だったのに…」

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人はすべて金に狂う、打算のない女などいない、美しい人間などいないということを悟る。そして風太郎はこのとき政界に打って出ることを決めるのだった。

おそらく、ドブのように汚い世界に絶望し、風太郎は美しいものを希求することを断念した。だから代わりに、ドブの底のように汚く、そして銭よりも強大な力を手に入れるためにーー

 

話は最後に飛ぶ。下巻において「全員悪人。」の世界を制した風太郎、「人間の幸福について」の原稿を書くために、幸せとはなにかと夢想する。

「私は幸福ズラ」私は銭を、すべてを手に入れた。しかし…

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そこに浮かんだ世界は思いがけずもーーありえたかもしれないーーふつうの家庭、貧しくもなく金持ちでもない穏やかな、そして温かい暮らしであった。

風太郎はその幻想を振り払い、己の過去を、悪行にまみれた人生を振り返る。たしかに自分は「すべてを手に入れた」のだ。なのにーー

 風太郎は唐突にピストル自殺を遂げて、物語は幕をおろす。

残ったのは風太郎の遺書

「いつも私だけが 正しかった この世にもし真実が あったとしたら それは私だ
私が死ぬのは 悪しき者どもから 私の心を守るためだ
私は死ぬ 私の勝ちだ 私は人生に勝った」

そして最後に、作家・秋遊之助による一文が読者に投げかけられる。

「てめえたちゃ みんな銭ゲバと同じだ もっとくさってるかもしれねえな 

それを証拠にゃ いけしゃあしゃあと 生きてられるじゃねえか」

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 そう。「銭ゲバ風太郎は「この世の真実」であった。風太郎のみた世界は、「人間は悪であり、人間が作り出した社会もまた悪」という現実だった。

人は銭ゲバであるから悪なのではない。人は本来的に悪であるから、銭ゲバとなる(あるいは銭ゲバである)のだ。

だから風太郎は、悪しき者である己と他者から逃れるために、自ら人生の幕を引くことで人生の勝者となった。

 

銭ゲバ』を傑作たらしめているのは、ラストカットの一文にあるといってもいい。

「ならばお前はどうなのか。悪であるこの世界で、悪であるお前は、汚れた世界で汚れたお前は、欺瞞の中に生きていくのか」という問い。

答えはーー当然ながら「この世に生きる我々には逃げ場はない」。である以上、「己の悪を引き受けていくしかない」だろう。

ならば汚れた我々は、汚れたまま欺瞞の中に生きるしかないのだろうか?

いや、それは違う。なぜなら「銭ゲバ風太郎が最後に己の人生を振り返るときに見た夢は、銭の夢ではなかった。夢見たのは穏やかな暮らし…いや、そこにある<美しき真実の愛>だったからだ。

 風太郎が<美しき真実の愛>を夢見たように、ーーそして「しかしそれ(真に美しきもの)はありえぬ」と風太郎が悟ったようにーー生きることは、我々にも許されているはずだ。

決してありえない「らこそ」輝きを放つ<美しき真実の愛>を、決してありえないと知りつつ…それでも希求して生きる。

その態度こそが、汚れた我々が、欺瞞ではなく真に誠実に、一縷の<美しきもの>として生きるーーそしてそれは汚れているが、汚れているが「故に」美しいのだーーということではないだろうか。   <了>

 

余談

 この漫画は泉麻人が解説している。

「風太郎と三島由紀夫の自決」銭ゲバ(ジョージ秋山) その2 -- 2009/05/12 -- イズミ少年の漫画日記 -- 漫画大目録

さすがに三島の自決に『銭ゲバ』が影響を与えたとは考えられないが…。しかし時代の空気感(社会はクソ)は共有されていたはずだ。