文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

ぼくの精神病院入院日記  その2

4月の終わりごろから2か月半ほど、精神病院に入院してました。

入院理由は、ストレスによる心因性の過剰水分摂取による水中毒でした。

入院中に暇つぶしに書いた日記を、忘備録として載せます。

 ※以下出てくる人名は、当然ながらすべて仮名です。

 

ぼくの精神病院入院日記 1  つづき

4月某日~5月のあたま

・日がたつにつれて、意識がだんだんとクリアになってきた。(入院から8日目くらいだろうか)  これまでは少しぼーっとしたり、熱で頭が回らなかった。

運動せずに寝てばかりなので、夜はまったく眠れない。だから9時半消灯から翌6時起床まで、何もせずに目をつむっているしかない。

・病室は6人部屋で、6人全員が埋まった。暇つぶしに、部屋の他の患者さんがナースさんと話している時に聞き耳を立てる。他にすることがないので、これが唯一の娯楽である。

病室は私の他に、同年代の男性(そりゃ男性病室だからな)4人と、いろいろ管につながれた細い爺さん1人。

Mさんは、色々と不安があって衝動的に薬を多飲しての自殺未遂。中学の時以来2度目の自殺未遂で、ゴールデンウィーク安室奈美恵のコンサートをひかえていて、病院に運ばれて「ものすごい後悔してる」という。

Nさんは、「歩道橋からおりた」かららしい。おりた、というからに飛び降りたか落ちたのだろうか。足痛めているらしいし。

しばらくして入ってきたのが「痩せ細った爺さん」。夜になると「死ぬー死ぬー」とうるさい。痰がからむようだ。爺さんのお見舞いに来た人が、「法華経を唱えればよくなるから」と言っていた。

その後入ってきたのが、ガチガチに拘束されてる太った人。O木さん。

以前ここに入院していて、他の病院から再度ここに入院してきたらしい。太ってるのに、ナースさんたちが「しばらくだねー。かなり痩せたねぇー」と言う。どんだけ太ってたんだ。

O木さんは全くしゃべらず「ウゥーマン、ウゥーーマン、マンマー、マンマー」という意味不明な発声しかしない。意識が混濁してるのか。お母さんがよく見舞いに来るが、息子のこういう拘束された姿をみるのはやるせないだろう。

・点滴も取れて、尿カテーテルも取れた。自由に動けるようになると、テレビのある食堂(デイルーム)に行けるようになる。

食堂に行ったり、他の病室がどうなってるのか少しわかるようになると、ここはつくづく「精神病院」なのだなと思う。

隣の病室には「も・う・いやだー。きえろ、きえろー!」と幻聴と戦って独り言を怒鳴っている、統合失調症らしきおじさん。

延々と「このやろー!」「またやるのか!」と独り言を怒鳴っている車椅子のおじいさん(やはり統失なのだろうか)。

「もうこんなところ嫌!帰るぅ!」と夜9時に泣くおばあさん。

夜になると泣き出す若い女性。 一度彼女が「私だって!子供一人産んだのに!」と大声で泣き出した。すると隣でTVを観ていたおじさんが、

「また泣いてるよ。世の中の人間てのは皆死にたいと思いながら生きてて、夜はTVみてるんだよ。でも大人だから泣かないんだよ」と私に言ってきた。

私は「いや、大人が皆死にたいと思いながら生きているのなら、辛くて入院してる我々の方が《正常》なのでは?」と思った。

 ・人の集まりなのである以上、食堂ではたまにトラブルがある。皆TVを観ることしかないからか、TVがらみのトラブルが多い。

「そこにいるとTVが見えない。正面からどいてよ」

「おい!何で俺が注意されなきゃいけないんだ!椅子ははじめからここにあったんだ、お前が横にくればいいだろ!」

というおっさん同士のやりとり、

「私がトイレ行ってる間にチャンネル変えたんだから、チャンネル戻すわよ」

「勝手に!チャンネル変えるんじゃねえよ!」

とおばさんとおっさんのケンカ。さすがに言い争いだけで、殴り合いになるケンカはなかったけど。

こういうのをなだめるのも看護師さんの仕事だ。大変だ。

・病院なので飯はまずい。魚はほぼ毎日出る。酢の物が3日連続で出たときはさすがに殺意が湧いた。2週に1度くらい出るカレーのときだけが至福だ。(とはいえ、カレーも冷めてて決して「美味い」もんではないのだ…)

しかし慣れとは恐ろしいもので、このまずい飯にも5日ほどすれば慣れてしまう。ポイントはどの料理にも醤油をかけて、しょっぱくすることである。そうすればとりあえず醤油味になるので、ご飯といっしょに食える。

やはり皆不味いのか、ふりかけを持ち込んでる人は何人かいた。

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・食堂で、お菓子をジジイに盗まれそうになった。お菓子をテーブルに置いて電話していたら、ジジイが私のお菓子袋からチョコパイをあさっていたのだ。

その日、母が見舞いに来たのでこの話をすると、このジジイは、父がこの病院に入院していた4年前にも入院していたという。4年選手なのかよ。ずいぶん長い入院だ…

・病室の「細い爺さん」が摘便されていた。終始「いてぇーいてぇー」と言っていた。やっぱり痛いのか… 

ドMの人なら若い女性看護師に摘便されるのはフェチプレイの感覚なのだろうか?俺は無理だ

・夕食後の検温で、38.9℃の高熱が出た。さすがに高い。すぐにベッドに横になり、両腕から2本血液検査され、また点滴を打たれた。

右腕に点滴をされていたのだが、何日かたったら点滴が中で漏れて、手の甲がパンパンになってしまった。熱は3日で下がった。

・入院してもう2週間ほどになるが、意識を取り戻してから昨夜初めて寝ることができた。今まで眠剤を飲んでも一睡もできなかった。いや、正確には10分ほどしか眠れない。1日中ほとんどをベッドにいるので、疲れないから眠れないのだ。

そんな中、昨日は1時間ほど眠れた。よく覚えてないが夢もみた。ただし悪夢だ。たとえ悪夢でも夢を見れるくらい眠れたのはうれしい。

もっと強い眠剤を処方してほしい。じゃないと寝不足で倒れてしまうのではないだろうかと心配だ。

・入院して唯一よかったことは、この病棟には大風呂があることで、週2回この大風呂に入れることである。これは心の底からうれしかった。

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初めて風呂に入ったのは、10日ぶりの入浴で、まだ歩けないので看護師さんの介助つき。入浴したときは生き返るような気がした。

2度目の入浴の時は、点滴を打ってたので、着替え介助(看護師さんが着替えを手伝ってくれる)の入浴。 さぁ、風呂を楽しもうと思って体を洗っていたら、他の介助入浴者がうんこもらしたのか臭いが充満した。それでも窓を開けて、30分ほど熱い湯につかって大風呂を堪能した。

介助なくひとりで風呂に入れるようになると、平日は毎日風呂に入れるようになる。

・おばちゃんがよく将棋をやっているので、声をかけたら将棋することになった(以下、将棋おばちゃん)。このおばちゃんを中心に、将棋できる人が何人もいて、ほぼ毎日将棋指すことになった。将棋は私が一番強く、病棟名人になった。

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 将棋おばちゃんは、うつによる重度不眠で入院してるといった(一睡もできないらしい)。自律神経の副交感神経の働きが強すぎるらしい。

入院形態は比較的自由がきく「任意入院」らしかった。

・50代のおじさん、K川さんが私に話しかけてきた。統合失調症を患っていて、医療保護入院(緊急性がない入院。検査もかねての入院らしい)で、もう4度目の入院だという。

K川さんが言うには、この病棟にはもう15年入院している患者もいるという。あのドロボージジイだろうか。

K川さんは20代の頃働きまくって6千万稼いだこと、(おそらく結婚してないので)姉が見舞いに来ること、クリスチャンでプロテスタントであることなどを私に語った。

ただ、K川さんはゴシップ的に私の事に興味があったようで、私の仕事の事や入院理由などをきいてきた。特には話したくない事だったが、まあここ(病院)を出れば接点もないので、と話した。(以降K川さんとは、時間があればたまに話す仲になる)

 ・平日昼間、OT(作業療法)で週に何度かカラオケ会がある。食堂で参加者10人がくらいが歌うのだ。私はカラオケの類は人の歌をきくのが嫌いなので参加しない。若い人が歌ってるのはどうでもいいか、なぜかお婆ちゃんが演歌を歌ってるのは、たとえ下手でも(というか下手だが)愛嬌があっていい。

f:id:akihiko810:20180629152807p:plain 採点つきのカラオケ機だった

5月8日

・面白くもないTVをつけながら、本を読んでいたら、女性ナースさんに「優雅でいいね」と言われた。皮肉か。いや、仕事熱心で真面目なナースさんなので皮肉ではないだろう。

「いや、本当にすることないんですよ」と私も本音を答えた。

本読むのは疲れるし、テレビはつまんねーし、入院というのはやはりすることがなく退屈である。

・将棋おばちゃんとの将棋のあと、 20代らしき女の子が来て、私にではなくおばちゃんに私の名前をきいた。「いや、名前きくなら俺に直接きけよ、コミュ障か」と思ったが、どうやら私とオセロをやりたいらしい。なのでオセロをやることになった。

オセロは私が勝った。 負けるや否や彼女は「うー!」と言って部屋を出てあっちに行ってしまった。よっぽど悔しかったのか、というか「コミュ障じゃねーか」と思った。仕方ないので「片付けますよ」とだけ言ってオセロを片付けた。片づけてる途中で女の子は戻ってきて、「ありがとうございました」とお礼を言った。

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・風呂に入るときは、点滴をしているので、服を脱ぐのにナースさんの介助がある。今回の介助は若い女性ナースさんだった。

服を脱ぎ着するとき、私の肌にナースさんの肌が密着する。女性の肌が触れること、女性に優しくしてもらえること、「入院して点滴しててよかった」と少し思った。

・食堂には本棚があるのだが、食堂でよくその本を読んでるおばさん(主婦?)がいて、村田沙耶香コンビニ人間』を読んでいた。

コンビニ人間』は以前私も読んだので、本について話してみたいと思いおばさんに「『コンビニ人間』面白いですよ」と話しかけてみた。

「もう読みました」とおばさん

村田沙耶香はお好きなのですか?」ときくと

「話したくないので」とおばさんは食堂を出て行ってしまった。

うぜーやろーだと思われてしまったのだろうか…。

コンビニ人間

 

 ・病室の拘束されたO木さんが、たまにうんこもらしたりゲロ吐いたりしてる。しかも「マンマーマンマー」しか言わないので、ナースコールをしない。そのまま放置。

仕方ないので、気づいた3回は私がナースコールした。別に親切でというわけではなく、単にそのままだと臭いからである。

いい歳してんだから自分でナースコールしろよと思うが、ここは精神病院であり常識は通用しないのだ。

 

ぼくの精神病院入院日記 続きます(たぶん)

ぼくの精神病院入院日記 1

4月の終わりごろから2か月半ほど、精神病院に入院してました。

入院理由は、ストレスによる心因性の過剰水分摂取による水中毒でした。

入院中に暇つぶしに書いた日記を、忘備録として載せます。

 ※以下出てくる人名は、当然ながらすべて仮名です。

 

4月某日

・目を開けたら、私は看護師さんにナポリうどんを食べさせられている。

そうだ。たしかタクシーで母に運ばれ病院の精神科に行き、着くや否やそのまま入院   したらしい。

病院に着いたときの記憶はかろうじてあるが(着いた途端、痙攣したのは覚えている)、それ以降の記憶がない。

「ここが病院で、おそらく私は入院したのだな」と察したので、そのままうどんを完食した。

・目が覚めた今日は、入院してから4日目らしい。たまに目を開けてすぐに眠ってたそうだが、記憶はない。

・右腕が点滴につながれている。意識が戻ってから強く思うのは、「俺はここで寝てるほど暇じゃない。早く帰らなければ…」という焦り。

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さっさと点滴を外してこの部屋から出ていきたいのだが、体が動かない。なんとかベッドから起き上がりベッドの横に立つ。が、点滴でつながれているので歩けない。

するとナースが来て「まだベッドに寝ているように」と指示して横にさせられた。

しかし私はどうしてもここから出たかったので、今度はなんとかしてベッドの上に立った。

またナースが来て「危ないから横になってて」と横にさせられた。こんなやりとりを2度ほどした。

(今思うと、そこまでしても病室から出たかったのだなぁ…)

・「この部屋から出たい…そうだ、トイレなら外に出れるかも」と思い、というか若干うんこがしたかったので、ナースを呼んでトイレに連れて行ってもらうことにした。

まだ歩けないので車いすにのせてもらう。車いすにのって、初めて病室の外に出る。

トイレは病室の隣にあった。

便器に座ってきばったが、便は全く出ず、車いすで病室にまた戻った。

ナースさんに世話かけてしまって申しわけないーーというか、ナースさんに心の中で「チッ、面倒かけさせやがって」と舌打ちされたような気がした。

(今思うとそれはただの勘違いで、ナースさんは皆素晴らしい人たちでした。というか、これくらいのことは皆慣れていて当たり前だった)

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・医者の先生によると、私がここに入院となったのは、水中毒での意識障害らしい。

私はここ最近、日々の不安を紛らわすために、水やお茶を1日7リットルくらい飲んでいて(当然吐く。吐きながら水を飲んでいた)、それで血中ナトリウム濃度が下がったとのことだ。

それだけでなく、ここに運ばれたとき、CK値(クレアチンキナーゼ。筋肉細胞の酵素という値が通常200のところ、私は7000あって死にかけていたのだという。

「この病院では手に負えないので、御茶ノ水の専門病院に送った方がいいのではないか?」という意見が半数、「とりあえずこの病院で様子みましょう」が半数だったらしい。 後者の意見が通り、そのうち私が意識を取り戻し、死なないですんだようだった。

(のちに先生から、「こんな数値今までみたことないよ。普通はこうなると腎臓壊して、一生人工透析になるんだけどね」と言われた。一生人工透析とか怖いわ…)

おかげで意識を取り戻しても、1週間、点滴が続いた。

 

・意識が戻って何日間か、「おしっこしたい」とはまったく思わなかった。大をしたい、とも思わなかった。 パンツではなく、おむつをはいていた。

ナースさんが私に「おちんちんに管入ってるからね、だからおしっこしたくないでしょ」と言った。私は「そりゃ、ちんちんには尿管という管あるでしょ」と思って聞いていた。

それにしてもちんちんの先っぽが痛い。トイレ(大)に連れて行ってもらってびっくり。

ちんちんにカテーテルが入っていて、尿とり袋につながれていたのだ。

「ちんちんに管」ってこれか! 初めての入院で、驚くことばかりだ。

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・あまりにもちんちんが痛いのでよくみたら、尿カテーテルを入れるために包皮がむかれていた(仮性なのです)。それには苦笑するしかなかった。

 

ぼくの精神病院入院日記 続きます

夏目漱石『彼岸過迄』 ~近代的自意識に苦悩する男と、現実を生きる女

漱石は私の好きな作家だ。

漱石作品は基本的に新聞連載小説であるため、次の頁を早くめくりたくなるような話の展開なのがいい。漱石は、人間模様や会話もかなり上手い。

何より作品のテーマが「近代自意識という悩みと、それ以上に現実である女性関係」なのも好みである。

「理想は高いが、現実は陳腐」

「自意識ばかりで現実を生きてない男よりも、現実を生きる女の方が上手(うわて)」

これが漱石作品に通底する主題だと思う。

さて、漱石作品ではおそらくマイナーながら、面白い作品だったので紹介したい。

彼岸過迄

彼岸過迄 (新潮文庫)

彼岸過迄 (新潮文庫)

 

後期3部作(『彼岸過迄』『行人』『こころ』)の第1作であり、1年半前に「修善寺の大患」といわれる大病で死にかけて以来の復帰作。

明治最後の年(1912年)の元旦から連載され、「彼岸過ぎまで連載する予定」とのことでこの題名がつけられたが、実際の連載は4月いっぱいであった。(全然彼岸に届いてないよ!)

小説の構成は「いくつかの短編小説が連なって長編小説を構成する」という珍奇なもの。

基本的には「主人公・田川敬太郎が、幾人もの人から話を聞く」という筋。  章によって、語り手が敬太郎から他の人物に変わる。

話の筋はウィキペに譲るとして、 

彼岸過迄 - Wikipedia

おおまかな登場人物だけ紹介したい。

 

田川敬太郎 :

主人公。大学卒業後就職できず、働き口を斡旋してくれる人を探している。

世間知らずのロマンチストで、「探偵みたいな冒険の仕事に就いてみたい」などと夢想している。

仕事の口を紹介してもらいに行ったら、「駅にいるある人を尾行する」という探偵仕事を頼まれる。この尾行場面を書いた章「停留所」は、ミステリー小説のようにぐいぐい読ませてかなり面白い。

須永市蔵 :

敬太郎の大学の友人。物語後半部の実質的主人公。「近代的自我」に悩む漱石が、自身を投影した人物。章「須永の話」では、敬太郎に自身の恋愛話を語る。

幼馴染で親戚の千代子とは、母が許婚(いいなずけ)と決めた間柄である。千代子も須永に好意を寄せてはいる。しかし須永は千代子を嫁に貰うつもりはなく、千代子から逃げている。「恐れない女」である千代子に、「恐れる男」である僕は恐れているのだ、などと、「自我をこじらせた」自身の苦悩と自己弁護を延々と、延々と述べる。

しかも千代子に別の婚約者候補ができると、その男と千代子に腹の底で烈火のごとく嫉妬する(笑)

松本 :

須永の親戚。高等遊民。敬太郎が探偵したのはこの男だった。

「雨の降る日」では、雨の日に幼き娘が病気で突然死んだ、という、実際に漱石の娘が急死した体験を元にした話をする。

最終章「松本の話」では、以前須永が「何故僕が、こんな僻みの性格なのだか教えてくれ」と涙ながらに言うので、実は、須永は母の実子ではないということを明かしたと言う。母が千代子と結婚させたいのは、(千代子は親戚なので)須永と血縁ができるからだ、と。

ここで読者には、須永が千代子との婚姻を拒む理由は、「恋愛より先に血縁で決められた関係」だから、そこに「魂の恋愛」がないと須永が思っているからだ、と暗示される。

 

印象的な台詞をいくつか

あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです(27P)

この間僕の伴れていた若い女は高等淫売だって、僕自身がそう保証したと云って呉れたまえ (186P 高等遊民松本が、千代子の父に対して)

僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。 美くしいものほど強いものはない」と。 強いものが恐れないのは当り前である。 僕がもし千代子を妻にするとしたら、 妻の眼から出る強烈な光に堪たえられないだろう。 その光は必ずしも怒りを示すとは限らない。 情けの光でも、愛の光でも、 もしくは渇仰の光でも同じ事である。 僕はきっとその光のために射すくめられるにきまっている。 それと同程度あるいはより以上の輝くものを、 返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。  (252P 須永)

「何故愛してもいず、細君にもしようと思ってない妾(あたし)に対して…」「何故嫉妬なさるんです」  (324P 千代子)

あなたは卑怯です、徳義的に卑怯です。あたしが叔母さんとあなたを鎌倉へ招待した料簡さえあなたはすでに疑ぐっていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。あなたはひとの招待に応じておきながら、なぜ平生のように愉快にして下さる事ができないんです。あたしはあなたを招待したために恥を掻いたも同じ事です。あなたはあたしの宅の客に侮辱を与えた結果、あたしにも侮辱を与えています」

「侮辱を与えた覚はない」

「あります。言葉や仕打はどうでも構わないんです。あなたの態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、あなたの心が与えているんです」  (325P 千代子)

須永が最後、千代子に言いこめられるように、自意識に悩む男より、現実を生きる女の方が強い。そしてそれ故にすれ違うのである。

彼岸過迄』は、漱石作品ではマイナーながら、漱石の「近代自意識」というテーマが前面に出た、日本近代文学史に残る名作だと思う。

そして実写化する際(話が地味だからしないだろうけど)には、「ニートじゃない!高等遊民だ!」(ドラマ『デート〜恋とはどんなものかしら〜』)でお馴染みの長谷川博己を、ぜひ須永役にしてもらいたいものである。

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NHKで漱石役(『漱石の妻』)やってたし適役だと思う(笑)  <了>

第二十五回文学フリマ東京・編集後記&レポ

文学系同人誌即売会第二十五回文学フリマ東京(11/23)に、サークル文化系女子になりたい』で出展参加しました。

 

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23冊頒布して21人の方にお買い上げいただけました。

本誌に入りきらなかった漫画文学論、回文集、テレビ論などのおまけもそこそこ手に取っていただけました。

ブースにお越しいただいた方本当にありがとうございます。

表紙を手差しコピーで厚紙にしたので見た目もよくなったのか、女性の方に多く手をとってもらいました。もともと「文化系女子になりたい」というサークル名にしたのは、男ばかりで(現在は3人で女性が1人います)むさかったので、できるだけ可愛いイメージにしたかったからでした。その意味では、女性受けしたことはうれしかったです。

それから、私のこのブログの読者の方や、ツイッターフォロアーの方も来ていただけました。読者さんの顔をみれたのはうれしかったです。本当に励みになります。

次回5月の文学フリマ東京にも参加予定ですので、そのときはぜひまたご来場いただけるとうれしいです。

 

本誌に載せた、私がかいた文芸マンガを掲載します

『嫉妬の果実』

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大傑作劇画・上村一夫『しなの川』。 再実写化するなら主役は誰?

とんでもない傑作漫画を読んだ。

どれくらい傑作なのかというと、私の「生涯で読んだ凄い漫画」スト2、3に食い込むのではないか、というレベルの傑作である。

自慢ではないが、私は32年の人生としては、結構な数のマンガを読んでいる(上には上がいるものなので、実際自慢にはならない)。子供の頃から読んで覚えているのは、おそらく600作品~はあると思う。数えたことはないけど。

600作の中のベスト2、3にくるのだから、傑作さの度合いがわかろうというものだ。実際、読み終えて私も「こんな傑作があったのか!」と驚いた。

この傑作漫画は、上村一夫画・岡崎英夫原作『しなの川』である。

しなの川 (第1巻) (上村一夫完全版シリーズ)

しなの川 (第1巻) (上村一夫完全版シリーズ)

 

 73年に、『ヤングコミック』という雑誌で連載された劇画だ。

無料で1日180P読めるウェブマンガサイト「スキマ」で読んだ。

[無料漫画] しなの川|スキマ|全巻無料漫画が17,000冊以上読み放題!

無料で上村一夫の傑作劇画が読めるとは恐るべしである。

このサイトは他にも、永島慎二やまだ紫といった昭和ガロ漫画家、ふくしま政美などの昭和劇画が読める、古本屋の掘り出し物みたいなマンガサイトである。すごい。

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では、この『しなの川』のあらすじ。

昭和3年という、世界恐慌がありやがて日中戦争に突入していくことになる激動の時代、新潟県信濃川沿いの、裕福な商家の一人娘・高野雪絵という少女の「女一代記」である。

雪絵は奉公人・竜吉と初恋になるが、竜吉を捨て、左翼の教師と禁断の恋仲になり駆け落ちする。雪絵はやがて母の犯した過ちと、自分の中に流れる淫蕩の血を知り、母と同じく男を抱き、男を捨て、心中するも生き残り、また男を虜にし…という雪絵の「女の業」が、信濃川の激しい流れと共に描かれる。

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淫蕩の業を背負った女雪絵と彼女に翻弄される男たちの末路を、ぜひ本作を読んで堪能してもらいたい。

さてこの『しなの川』、過去に水戸黄門かげろうお銀で有名な由美かおるの若い頃(73年)に主演で映画化されていて、由美かおるはヌードにもなっている。

f:id:akihiko810:20171121031606j:plain 『しなの川』ポスター

今この映画はネット上で観ることはできなさそうなので、もし今、再実写化するとしたら、主演女優は誰が適切か考えてみたい。

  • 物語は雪絵の15歳~40代を描く女一代記なので、その歳の女性を演じられる20代の女優。
  • 主演雪絵役は当然ヌード、濡れ場あり。今までヌードを披露したことのない女優にも当然脱いでもらう。
  • この傑作を余すことなく実写化するため映画の尺は4時間ほしい。なので当然演技力のある人がいい。

という点を踏まえて、さっそく審議に入ろう。

エントリーNo.1 剛力彩芽 

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まずはいきなり、「当然」というか「まさか」というか、ゴリ押しで有名なゴメさんである。

ギャラが安いのと、事務所のゴリ押しで一時期ドラマに出まくってたが、ここでもゴリ押しである。いや、今回はちゃんとノミネートした理由がある。

ノミネート理由は「顔が上村一夫の描く美女に似てる」。ほっそりした顔と細い目が上村美人なのだ。「雰囲気」だけでみれば合格である。

しかし問題はある。まず、彼女の演技はしょっぱい。下手とは言わないが、あまり上手くはない。キャラありきの 「エンタメドラマ」程度なら問題ないが、文芸大河映画で彼女が主演の映画を4時間観るのは、正直つらいだろう。

次の問題点。剛力の裸はたぶんエロくない。

これは重大な問題点である。剛力はまだ演技でヌードになったことはないし、もしかしたら濡れ場自体を演じたこともないのかもしれない。それ自体は濡れ場初挑戦すればいいだけだが、いかんせんエロスを感じさせないのはいかんともしがたい。

剛力にエロスを感じないのは、たぶん彼女から「何か秘めた感じ」を感じ取れないからである。

エロスとは秘め事である。男にとってのエロスとは「女の中にある<わからなさ>」だ。剛力はたぶん何も秘めてない。

ましてや、演じる雪絵に流れる血は「淫蕩の血」である。剛力に流れてるのはせいぜいヤクルトジョアだろう(苦笑)。

だから私は剛力の裸に魅力を感じない。もちろんなんかの作品でヌードになったら観るけども、これは男のサガである(苦笑)

エントリーNo.2 二階堂ふみ 

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まず彼女は、同世代の女優の中では抜群に演技が上手い。文芸映画で何度か主役張ってるので、今回も心配はない。

二階堂が「サブカルかぶれ」な人なのも、昔の劇画を実写化するにはイメージがあっている。

『観ずに死ねるか!傑作ドキュメンタリー88』という本で、二階堂はナチスプロパガンダ映画『意志の勝利』(35年)をあげていた(苦笑)。たぶん「私は表現者なのだから、これくらいは観ないとダメ!」と観たのだろう。実に好感が持てる話だ。

さらに二階堂は過去に濡れ場を演じていて、放漫な肉体と挑発するような演技は観ていてエロかった。彼女なら濡れ場も安心してまかせられる。

f:id:akihiko810:20171121151402p:plain 映画『私の男』

ただ惜しむらくは、彼女は若干丸顔なので、「上村一夫美女」っぽさがどこまで出せるか、という点が不安点か。

エントリーNo.3 武井咲

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剛力に続いて「オスカーゴリ押し女優」だが、彼女の演技は悪くない。

たまたまドラマ『黒革の手帖』で演じたのをみたら、なかなかの「大人なエロス」を醸し出す人だと感じた。

目がキリっとして、シュッとした顔立ち(キツい顔立ちの美人)なので、上村美女の雰囲気は出ている。

濡れ場はまだ演じたことがないようだが、完全に「実力派女優」へと脱皮するためにここいらで脱いで存在感をみせつけてもらいたいと思う。

…ともう少し武井咲について語りたいが、私はあまり彼女に興味がないのでもう言うことがない(苦笑)

知らんけどEXILEの人と結婚したそうで、「そういう部類の女性なんだなぁ」という感じ。『しなの川』なんて昔の漫画は一生読まないだろうし、ましてや文学フリマなんて(この記事は、同人誌即売会文学フリマ」用に書いてるのです…)興味もないだろう。あらゆる意味で私とは違う世界の人だ。

  他にも無名若手女優を挙げたいが、私はそれに詳しくないので以上3名にする。この中でなら一番の候補は二階堂ふみだろうか?

せっかくなので監督も指名したい。

崔洋一監督に、血と骨(04年)の雰囲気で撮ってほしい。

 f:id:akihiko810:20171121164248j:plain 血と骨の濡れ場

崔洋一といえば暴力描写の上手い監督だが、『しなの川』もこういう「暴力的な」濡れ場が中心となるので、いい出来の映画になるんじゃないかと思う。

しかし近作の『カムイ外伝』(09年)は駄作との評判だったが…。それに崔監督、もうここ8年ほど撮ってないんだなぁ。

ということで、『しなの川』を実写化する際には、ぜひこのメンツにしてもらいたい。

 

追記)私の「生涯で読んだ凄い漫画」ベスト1は、明確に決まっているのだが、長くなるのでこの記事では取り上げない。

私が19歳頃の「人生暗黒期」に、人生何もかも苦しく鬱だったときに読んだ作品である。やはり人生の作品を決める上では「人生でいつに出会ったか」も大事だね。

「人生で読むべき漫画」でありぜひ読んでもらいたいので、この傑作漫画がなにか知りたい方は、ツイッターかブログコメントで私に訊いてください。

田亀源五郎『弟の夫』を読む ~ゲイというマイノリティの物語に描かれる、<家族>という物語

田亀源五郎『弟の夫』全4巻。

ゲイエロ漫画界の巨匠が初めて一般誌で連載した、ゲイ男性と同居するホームドラマだ。

この物語は、ゲイへの偏見による「マイノリティが感じる苦悩」を巧みに描いた作品である。

しかしこの作品は「性的マイノリティ」の問題だけに終始しない。

登場人物ががゲイというマイノリティなだけでなく、主人公が「シングルファザー」という、世間的な少数者なのである。

このマンガでは彼らの日常生活が丹念に描かれ、そこから「彼らマイノリティが営む<家族>像」が浮かび上がる。

つまりこの作品は、「マイノリティが感じる苦悩」と「家族とはなにか(どのような存在か)」というテーマが二層構造になっているのだ。

 

あらすじ~~~~

弥一は、小学生の娘・夏菜を育てるシングルファザー。

弥一の元に、「弟の夫」であるカナダ人マイクが訪ねてくる。弥一の双子の弟涼二は、十年前に家を出て海外に行った以来音信不通だったのだが、実はカナダでマイクと同性婚しており、涼二が亡くなったのをきっかけに、マイクは涼二の唯一の親族(両親はすでに他界していた)である弥一の元を訪ねてきたのだ。

マイクは弥一の家に滞在することになり、弥一は初めてゲイの男性ーーそれも自分の義弟だという外人ーーと向き合うことに戸惑いを覚える。

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マイクが滞在してから思いもかけないことがいくつもあった。

弥一は近所の人に、世間体を考えマイクのことを正直に「弟の夫」だと紹介できない自分に気付く。

また、夏菜がゲイの外国人男性と住んでいることがクラスで話題になると、夏菜の友人の母親は娘に「悪影響が出るからあの子の家に行ったら駄目」と言っていたらしいことが伝わってきた。本人への直接のものではないが、人づてにゲイへの無自覚な嫌悪感が伝わってきたのだ。弥一は、世間にはーー自身も含めてーーゲイへの無自覚な偏見があることを実感した。

弥一と夏菜は、マイクと、弥一の元妻・夏樹(わけあって離婚したが、現在は仲は悪くない)を誘って温泉旅行に行くことになった。

弥一は「旅館の人は、俺たちを『外国人の友人をもてなしてる子連れ夫婦』に見えるのだろうけど、実際は俺たちは今『夫婦』じゃないし、マイクはただの『お客さん』ではない。こういう関係をなんて呼べばいいのかな」と夏樹に話す。

夏樹は「家族…でいいと思うよ」「私とあなたの縁は夏菜でつながっていて、あなたとマイクは涼二さんの縁でつながっているのだから」と答える。

旅行も終わり日常に戻ると、弥一は夏樹の担任教師に呼び出され「御宅の事情は余所の家庭とは違っているので、夏樹がういてしまっていじめられるのではないか」と言われる。

自身がシングルファザーであること、同居人の外人が同性婚だということ…。「心配だと言って、実はさらっと差別された」と感じる弥一であったが、「もし夏樹に変わっていることがあったとしても、他人と違うからという理由だけでそれをやめさせたくない」と担任に伝え、そして「うちにいる滞在者は、私の弟の配偶者であの子の叔父です」と、初めて自分の口でマイクのことを「私の弟の配偶者」だと言った。

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その晩、弥一はマイクに、ゲイだとカミングアウトされて以降なんとなく距離の出来てしまった、亡き弟・涼二との写真をみせてもらい思い出話をきく。写真の中の涼二はマイクと結婚して、弥一が見たことのないような楽しそうな笑顔をしていた。

マイクは言う。「涼二は結婚式で私の家族をみて、いつか日本に帰って、私を兄貴に『俺の結婚相手だ、新しい家族だ』と紹介したい、と言ってました」「だから涼二との約束を果たすために、弥一さんと家族になるために日本に来ました」

弥一は「その約束は果たせたね。もうとっくになってるよ、家族」とマイクに答えるのだった。

マイクがカナダへと帰る日、弥一は夏菜の未来の幸せを願い、「俺に弟がいたこと、弟はマイクと幸せに過ごしたこと」を教えてくれた、マイクと過ごした日々の大切さを思う。  完

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作者の田亀自身がゲイであるため、この作品に描かれる「ゲイが感じる苦悩」は実に現実的で、身につまされる。

マイクの元には、自身がゲイであることに悩む少年や、涼二の高校時代のゲイの友人ーー「カミングアウトせずに」生きていく者などが来て、性的マイノリティの人が直面する問題を描いている。

この作品のひとつの特徴は、明確な悪人(悪意)が出てこないことだ。

私は「最終巻はドラマチックに盛り上げるために、ゲイフォビア(嫌悪)な人物が出てくるのかな」と思って読んでいたのだが、登場するのはみな普通の、世間一般的な人ばかりであった。

作中には、「悪影響が出るからあの子の家に行ったら駄目」と言った友人の母親や、「弥一の家庭は一般的でない」と心配する担任教師が出てきたが、 彼らは「悪人」ではまったくない。むしろ一般的、いや「世間的」な人間である。

そしてこの世間的な一般人の持つ、無自覚で些細な偏見こそが、マイノリティを傷つけているのである。

作者田亀はインタビューにこう語る。

田亀: 人伝てにヘイトが来るのは、日本的でリアルだと思っているので、この漫画ではとても意識しています。陰ではそういった嫌悪の気持ちを持っている人でも、面と向かってダイレクトに気持ちをぶつけてはこないのが、日本でありがちな差別の姿だと思います。なので、それを描くことにとても意義があると思いました。
『弟の夫』で描きたかったのは無自覚の偏見、もしくは無自覚の差別です。自分がすでに差別構造の中にいるということに気づいていないことからもたらされる差別や偏見。

 ゲイ・エロティック・アートの巨匠 田亀源五郎と担当編集に聞く『弟の夫』の現場 「無自覚の差別」とは何か?

こうしたゲイへの「無自覚な偏見」は、実に巧みに作品に描かれていると思う。

さて、ゲイの悩みの問題については述べたので、作品のもうひとつのテーマ、

<家族であること>についてみてみたい。

この物語はおそらく、「ゲイの男性と同居する」というコンセプトを際立たせるために、意図的に「妻」という女性の存在を排除することになったのだと思う。

それが主人公弥一に「離婚して別居」という設定を与え、結果的に、物語は<家族の形とは何か>を問う方向へと向かいやすくなった。

作中で弥一は、旅館で元妻に「僕たちの関係って、なんて呼ぶのだろう」と尋ねる場面がある。それに対して元妻夏樹は「家族…でいいと思う」と答える。

「家族」だという理由は、「私たちは、縁があってつながっているから」だと言う。

この物語において、弥一の「家族」は2方向に存在する。「元妻と娘」と「弟の涼二」に対してである。

そしてもうひとつこの物語に出てくる家族がある。「マイクとその配偶者の涼二」だ。

「弥一と元妻夏樹」はすでに離婚しており、「弥一と弟の涼二」はまったくの疎遠であり、「マイクとその配偶者の涼二」は同性婚であり、どの関係性も「世間一般的な家族」の形とは違う。

しかしどの関係性も、彼らにとって「家族」である。「弥一と元妻夏樹」も「マイクとその配偶者の涼二」も、彼らは縁によってーーそして愛情によって、繋がれているのだから。

「弥一と弟の涼二」の関係性は、涼二がカミングアウトして以降二人の間に溝ができ疎遠になってしまったが、マイクがまた再び二人の縁を繋いでくれた。そう、マイクによって、弥一と弟の涼二は「再び家族になった」のである。

弟の涼二がすでに故人である、という点も、<家族の関係性>を考える上でのポイントになる。

「マイクと故人である配偶者」、「弥一と故人である弟」という関係性は、「以前、家族であった」というべきなのだろうか、それとも「今も家族である」といえるのだろうか?

この作品を読んだ方なら、「今も家族である」という考えに違和感なく首肯するだろう。

なぜならここで彼らが抱いている「家族」という概念は、物理的な存在ではなく、<関係性>そのものを根拠にしているからだ。

私が以前、このブログで 

ほったゆみ(原作)『ヒカルの碁』を読む。 ~死者は現在する。生者のなかに 

という記事を書いたとき、

『恐山: 死者のいる場所』(南直哉 著)という本から、

死者は実在し、生者と同じく我々に影響を与える。(略)

生前に濃密な関係を構築し、自分の在りようを決めていたものが、死によって失われてしまう。しかし、それが物理的に失われたとしても、その関係性や意味そのものは、記憶と共に残存し、消えっこないのです。

と引用した。

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

 

 死んだ者とも関係性がある限り、つまり「思い続ける」限り、「家族」という関係性は残ったままなのである。

これが『弟の夫』という作品が示す<家族という関係性>である。

『弟の夫』という物語を究極的にいえば、疎遠であった「弥一と故人である弟の涼二」という関係性を、涼二の配偶者マイクが再び<家族という関係性>へと繋ぎ戻す、という物語だ。

そしてマイクは、弥一と涼二を<家族という関係性>へと繋ぎ戻すという「役割を引き受けた」ことによって、マイクは弥一とも<家族という関係性>を結び得ることができたのである。

だから弥一が 「もうとっくになってるよ、家族」とマイクに答えたのは、それは戸籍上の概念ではなく、本心から<家族という関係性>になっている、という意味だ。

『弟の夫』は、物語最後のコマに、3枚の写真が載せられて幕を閉じる。

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「マイクと涼二」「夏菜が生まれたときの弥一と妻夏樹」、そして「温泉旅行で撮った、弥一、夏菜、夏樹と、マイクの4人」の写真である。

この3枚の写真は、彼らが「家族である」という証ーーたとえ「世間一般的な家族」の形とは違っても、彼らは間違いなく家族なのだーーであり、彼らの絆の記録なのだ。     <了>

 

本日のマンガ名言:もうとっくになってるよ、家族

 

追記)他にLGBTがテーマのマンガでは、ふみふみこぼくらのへんたいを以前書いたので、読んでみてください。

ふみふみこ『ぼくらのへんたい』を読む ~変態する思春期  

【告知】文学フリマ東京(11/23 木・祝)参加します。サークル「文化系女子になりたい」(カ-25)

文学系同人誌即売会 第二十五回文学フリマ東京に出展参加します。

 第二十五回文学フリマ東京

日時;11月23日(木祝) 11:00~17:00

会場;東京流通センター 第二展示場 東京モノレール流通センター駅」徒歩1分)

私たちのサークルは文化系女子になりたい」

ブースは「カ-25」2Fの入口から左の列の中盤にあります。

「批評 サブカルチャー」カテゴリのところです。

頒布する冊子はコピー本の合同誌文化系女子になりたい』

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1冊100円です。

内容は、短歌と、文芸マンガと、漫画文学論(漫画批評)の3本立てです。

短歌は私以外の2人のメンバーによる作品、

漫画文学論は私のブログ記事を掲載、文芸マンガは私が書きおろしました。

その他に、本誌に入りきらなかった記事や小冊子を10円~で出す予定です。

絶対に損はさせません、ぜひお越しください! 皆さんとお会いして何か語らいたいです!