文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

第二十五回文学フリマ東京・編集後記&レポ

文学系同人誌即売会第二十五回文学フリマ東京(11/23)に、サークル文化系女子になりたい』で出展参加しました。

 

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23冊頒布して21人の方にお買い上げいただけました。

本誌に入りきらなかった漫画文学論、回文集、テレビ論などのおまけもそこそこ手に取っていただけました。

ブースにお越しいただいた方本当にありがとうございます。

表紙を手差しコピーで厚紙にしたので見た目もよくなったのか、女性の方に多く手をとってもらいました。もともと「文化系女子になりたい」というサークル名にしたのは、男ばかりで(現在は3人で女性が1人います)むさかったので、できるだけ可愛いイメージにしたかったからでした。その意味では、女性受けしたことはうれしかったです。

それから、私のこのブログの読者の方や、ツイッターフォロアーの方も来ていただけました。読者さんの顔をみれたのはうれしかったです。本当に励みになります。

次回5月の文学フリマ東京にも参加予定ですので、そのときはぜひまたご来場いただけるとうれしいです。

 

本誌に載せた、私がかいた文芸マンガを掲載します

『嫉妬の果実』

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大傑作劇画・上村一夫『しなの川』。 再実写化するなら主役は誰?

とんでもない傑作漫画を読んだ。

どれくらい傑作なのかというと、私の「生涯で読んだ凄い漫画」スト2、3に食い込むのではないか、というレベルの傑作である。

自慢ではないが、私は32年の人生としては、結構な数のマンガを読んでいる(上には上がいるものなので、実際自慢にはならない)。子供の頃から読んで覚えているのは、おそらく600作品~はあると思う。数えたことはないけど。

600作の中のベスト2、3にくるのだから、傑作さの度合いがわかろうというものだ。実際、読み終えて私も「こんな傑作があったのか!」と驚いた。

この傑作漫画は、上村一夫画・岡崎英夫原作『しなの川』である。

しなの川 (第1巻) (上村一夫完全版シリーズ)

しなの川 (第1巻) (上村一夫完全版シリーズ)

 

 73年に、『ヤングコミック』という雑誌で連載された劇画だ。

無料で1日180P読めるウェブマンガサイト「スキマ」で読んだ。

[無料漫画] しなの川|スキマ|全巻無料漫画が17,000冊以上読み放題!

無料で上村一夫の傑作劇画が読めるとは恐るべしである。

このサイトは他にも、永島慎二やまだ紫といった昭和ガロ漫画家、ふくしま政美などの昭和劇画が読める、古本屋の掘り出し物みたいなマンガサイトである。すごい。

~~~~~

では、この『しなの川』のあらすじ。

昭和3年という、世界恐慌がありやがて日中戦争に突入していくことになる激動の時代、新潟県信濃川沿いの、裕福な商家の一人娘・高野雪絵という少女の「女一代記」である。

雪絵は奉公人・竜吉と初恋になるが、竜吉を捨て、左翼の教師と禁断の恋仲になり駆け落ちする。雪絵はやがて母の犯した過ちと、自分の中に流れる淫蕩の血を知り、母と同じく男を抱き、男を捨て、心中するも生き残り、また男を虜にし…という雪絵の「女の業」が、信濃川の激しい流れと共に描かれる。

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淫蕩の業を背負った女雪絵と彼女に翻弄される男たちの末路を、ぜひ本作を読んで堪能してもらいたい。

さてこの『しなの川』、過去に水戸黄門かげろうお銀で有名な由美かおるの若い頃(73年)に主演で映画化されていて、由美かおるはヌードにもなっている。

f:id:akihiko810:20171121031606j:plain 『しなの川』ポスター

今この映画はネット上で観ることはできなさそうなので、もし今、再実写化するとしたら、主演女優は誰が適切か考えてみたい。

  • 物語は雪絵の15歳~40代を描く女一代記なので、その歳の女性を演じられる20代の女優。
  • 主演雪絵役は当然ヌード、濡れ場あり。今までヌードを披露したことのない女優にも当然脱いでもらう。
  • この傑作を余すことなく実写化するため映画の尺は4時間ほしい。なので当然演技力のある人がいい。

という点を踏まえて、さっそく審議に入ろう。

エントリーNo.1 剛力彩芽 

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まずはいきなり、「当然」というか「まさか」というか、ゴリ押しで有名なゴメさんである。

ギャラが安いのと、事務所のゴリ押しで一時期ドラマに出まくってたが、ここでもゴリ押しである。いや、今回はちゃんとノミネートした理由がある。

ノミネート理由は「顔が上村一夫の描く美女に似てる」。ほっそりした顔と細い目が上村美人なのだ。「雰囲気」だけでみれば合格である。

しかし問題はある。まず、彼女の演技はしょっぱい。下手とは言わないが、あまり上手くはない。キャラありきの 「エンタメドラマ」程度なら問題ないが、文芸大河映画で彼女が主演の映画を4時間観るのは、正直つらいだろう。

次の問題点。剛力の裸はたぶんエロくない。

これは重大な問題点である。剛力はまだ演技でヌードになったことはないし、もしかしたら濡れ場自体を演じたこともないのかもしれない。それ自体は濡れ場初挑戦すればいいだけだが、いかんせんエロスを感じさせないのはいかんともしがたい。

剛力にエロスを感じないのは、たぶん彼女から「何か秘めた感じ」を感じ取れないからである。

エロスとは秘め事である。男にとってのエロスとは「女の中にある<わからなさ>」だ。剛力はたぶん何も秘めてない。

ましてや、演じる雪絵に流れる血は「淫蕩の血」である。剛力に流れてるのはせいぜいヤクルトジョアだろう(苦笑)。

だから私は剛力の裸に魅力を感じない。もちろんなんかの作品でヌードになったら観るけども、これは男のサガである(苦笑)

エントリーNo.2 二階堂ふみ 

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まず彼女は、同世代の女優の中では抜群に演技が上手い。文芸映画で何度か主役張ってるので、今回も心配はない。

二階堂が「サブカルかぶれ」な人なのも、昔の劇画を実写化するにはイメージがあっている。

『観ずに死ねるか!傑作ドキュメンタリー88』という本で、二階堂はナチスプロパガンダ映画『意志の勝利』(35年)をあげていた(苦笑)。たぶん「私は表現者なのだから、これくらいは観ないとダメ!」と観たのだろう。実に好感が持てる話だ。

さらに二階堂は過去に濡れ場を演じていて、放漫な肉体と挑発するような演技は観ていてエロかった。彼女なら濡れ場も安心してまかせられる。

f:id:akihiko810:20171121151402p:plain 映画『私の男』

ただ惜しむらくは、彼女は若干丸顔なので、「上村一夫美女」っぽさがどこまで出せるか、という点が不安点か。

エントリーNo.3 武井咲

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剛力に続いて「オスカーゴリ押し女優」だが、彼女の演技は悪くない。

たまたまドラマ『黒革の手帖』で演じたのをみたら、なかなかの「大人なエロス」を醸し出す人だと感じた。

目がキリっとして、シュッとした顔立ち(キツい顔立ちの美人)なので、上村美女の雰囲気は出ている。

濡れ場はまだ演じたことがないようだが、完全に「実力派女優」へと脱皮するためにここいらで脱いで存在感をみせつけてもらいたいと思う。

…ともう少し武井咲について語りたいが、私はあまり彼女に興味がないのでもう言うことがない(苦笑)

知らんけどEXILEの人と結婚したそうで、「そういう部類の女性なんだなぁ」という感じ。『しなの川』なんて昔の漫画は一生読まないだろうし、ましてや文学フリマなんて(この記事は、同人誌即売会文学フリマ」用に書いてるのです…)興味もないだろう。あらゆる意味で私とは違う世界の人だ。

  他にも無名若手女優を挙げたいが、私はそれに詳しくないので以上3名にする。この中でなら一番の候補は二階堂ふみだろうか?

せっかくなので監督も指名したい。

崔洋一監督に、血と骨(04年)の雰囲気で撮ってほしい。

 f:id:akihiko810:20171121164248j:plain 血と骨の濡れ場

崔洋一といえば暴力描写の上手い監督だが、『しなの川』もこういう「暴力的な」濡れ場が中心となるので、いい出来の映画になるんじゃないかと思う。

しかし近作の『カムイ外伝』(09年)は駄作との評判だったが…。それに崔監督、もうここ8年ほど撮ってないんだなぁ。

ということで、『しなの川』を実写化する際には、ぜひこのメンツにしてもらいたい。

 

追記)私の「生涯で読んだ凄い漫画」ベスト1は、明確に決まっているのだが、長くなるのでこの記事では取り上げない。

私が19歳頃の「人生暗黒期」に、人生何もかも苦しく鬱だったときに読んだ作品である。やはり人生の作品を決める上では「人生でいつに出会ったか」も大事だね。

「人生で読むべき漫画」でありぜひ読んでもらいたいので、この傑作漫画がなにか知りたい方は、ツイッターかブログコメントで私に訊いてください。

田亀源五郎『弟の夫』を読む ~ゲイというマイノリティの物語に描かれる、<家族>という物語

田亀源五郎『弟の夫』全4巻。

ゲイエロ漫画界の巨匠が初めて一般誌で連載した、ゲイ男性と同居するホームドラマだ。

この物語は、ゲイへの偏見による「マイノリティが感じる苦悩」を巧みに描いた作品である。

しかしこの作品は「性的マイノリティ」の問題だけに終始しない。

登場人物ががゲイというマイノリティなだけでなく、主人公が「シングルファザー」という、世間的な少数者なのである。

このマンガでは彼らの日常生活が丹念に描かれ、そこから「彼らマイノリティが営む<家族>像」が浮かび上がる。

つまりこの作品は、「マイノリティが感じる苦悩」と「家族とはなにか(どのような存在か)」というテーマが二層構造になっているのだ。

 

あらすじ~~~~

弥一は、小学生の娘・夏菜を育てるシングルファザー。

弥一の元に、「弟の夫」であるカナダ人マイクが訪ねてくる。弥一の双子の弟涼二は、十年前に家を出て海外に行った以来音信不通だったのだが、実はカナダでマイクと同性婚しており、涼二が亡くなったのをきっかけに、マイクは涼二の唯一の親族(両親はすでに他界していた)である弥一の元を訪ねてきたのだ。

マイクは弥一の家に滞在することになり、弥一は初めてゲイの男性ーーそれも自分の義弟だという外人ーーと向き合うことに戸惑いを覚える。

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マイクが滞在してから思いもかけないことがいくつもあった。

弥一は近所の人に、世間体を考えマイクのことを正直に「弟の夫」だと紹介できない自分に気付く。

また、夏菜がゲイの外国人男性と住んでいることがクラスで話題になると、夏菜の友人の母親は娘に「悪影響が出るからあの子の家に行ったら駄目」と言っていたらしいことが伝わってきた。本人への直接のものではないが、人づてにゲイへの無自覚な嫌悪感が伝わってきたのだ。弥一は、世間にはーー自身も含めてーーゲイへの無自覚な偏見があることを実感した。

弥一と夏菜は、マイクと、弥一の元妻・夏樹(わけあって離婚したが、現在は仲は悪くない)を誘って温泉旅行に行くことになった。

弥一は「旅館の人は、俺たちを『外国人の友人をもてなしてる子連れ夫婦』に見えるのだろうけど、実際は俺たちは今『夫婦』じゃないし、マイクはただの『お客さん』ではない。こういう関係をなんて呼べばいいのかな」と夏樹に話す。

夏樹は「家族…でいいと思うよ」「私とあなたの縁は夏菜でつながっていて、あなたとマイクは涼二さんの縁でつながっているのだから」と答える。

旅行も終わり日常に戻ると、弥一は夏樹の担任教師に呼び出され「御宅の事情は余所の家庭とは違っているので、夏樹がういてしまっていじめられるのではないか」と言われる。

自身がシングルファザーであること、同居人の外人が同性婚だということ…。「心配だと言って、実はさらっと差別された」と感じる弥一であったが、「もし夏樹に変わっていることがあったとしても、他人と違うからという理由だけでそれをやめさせたくない」と担任に伝え、そして「うちにいる滞在者は、私の弟の配偶者であの子の叔父です」と、初めて自分の口でマイクのことを「私の弟の配偶者」だと言った。

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その晩、弥一はマイクに、ゲイだとカミングアウトされて以降なんとなく距離の出来てしまった、亡き弟・涼二との写真をみせてもらい思い出話をきく。写真の中の涼二はマイクと結婚して、弥一が見たことのないような楽しそうな笑顔をしていた。

マイクは言う。「涼二は結婚式で私の家族をみて、いつか日本に帰って、私を兄貴に『俺の結婚相手だ、新しい家族だ』と紹介したい、と言ってました」「だから涼二との約束を果たすために、弥一さんと家族になるために日本に来ました」

弥一は「その約束は果たせたね。もうとっくになってるよ、家族」とマイクに答えるのだった。

マイクがカナダへと帰る日、弥一は夏菜の未来の幸せを願い、「俺に弟がいたこと、弟はマイクと幸せに過ごしたこと」を教えてくれた、マイクと過ごした日々の大切さを思う。  完

~~~~~

作者の田亀自身がゲイであるため、この作品に描かれる「ゲイが感じる苦悩」は実に現実的で、身につまされる。

マイクの元には、自身がゲイであることに悩む少年や、涼二の高校時代のゲイの友人ーー「カミングアウトせずに」生きていく者などが来て、性的マイノリティの人が直面する問題を描いている。

この作品のひとつの特徴は、明確な悪人(悪意)が出てこないことだ。

私は「最終巻はドラマチックに盛り上げるために、ゲイフォビア(嫌悪)な人物が出てくるのかな」と思って読んでいたのだが、登場するのはみな普通の、世間一般的な人ばかりであった。

作中には、「悪影響が出るからあの子の家に行ったら駄目」と言った友人の母親や、「弥一の家庭は一般的でない」と心配する担任教師が出てきたが、 彼らは「悪人」ではまったくない。むしろ一般的、いや「世間的」な人間である。

そしてこの世間的な一般人の持つ、無自覚で些細な偏見こそが、マイノリティを傷つけているのである。

作者田亀はインタビューにこう語る。

田亀: 人伝てにヘイトが来るのは、日本的でリアルだと思っているので、この漫画ではとても意識しています。陰ではそういった嫌悪の気持ちを持っている人でも、面と向かってダイレクトに気持ちをぶつけてはこないのが、日本でありがちな差別の姿だと思います。なので、それを描くことにとても意義があると思いました。
『弟の夫』で描きたかったのは無自覚の偏見、もしくは無自覚の差別です。自分がすでに差別構造の中にいるということに気づいていないことからもたらされる差別や偏見。

 ゲイ・エロティック・アートの巨匠 田亀源五郎と担当編集に聞く『弟の夫』の現場 「無自覚の差別」とは何か?

こうしたゲイへの「無自覚な偏見」は、実に巧みに作品に描かれていると思う。

さて、ゲイの悩みの問題については述べたので、作品のもうひとつのテーマ、

<家族であること>についてみてみたい。

この物語はおそらく、「ゲイの男性と同居する」というコンセプトを際立たせるために、意図的に「妻」という女性の存在を排除することになったのだと思う。

それが主人公弥一に「離婚して別居」という設定を与え、結果的に、物語は<家族の形とは何か>を問う方向へと向かいやすくなった。

作中で弥一は、旅館で元妻に「僕たちの関係って、なんて呼ぶのだろう」と尋ねる場面がある。それに対して元妻夏樹は「家族…でいいと思う」と答える。

「家族」だという理由は、「私たちは、縁があってつながっているから」だと言う。

この物語において、弥一の「家族」は2方向に存在する。「元妻と娘」と「弟の涼二」に対してである。

そしてもうひとつこの物語に出てくる家族がある。「マイクとその配偶者の涼二」だ。

「弥一と元妻夏樹」はすでに離婚しており、「弥一と弟の涼二」はまったくの疎遠であり、「マイクとその配偶者の涼二」は同性婚であり、どの関係性も「世間一般的な家族」の形とは違う。

しかしどの関係性も、彼らにとって「家族」である。「弥一と元妻夏樹」も「マイクとその配偶者の涼二」も、彼らは縁によってーーそして愛情によって、繋がれているのだから。

「弥一と弟の涼二」の関係性は、涼二がカミングアウトして以降二人の間に溝ができ疎遠になってしまったが、マイクがまた再び二人の縁を繋いでくれた。そう、マイクによって、弥一と弟の涼二は「再び家族になった」のである。

弟の涼二がすでに故人である、という点も、<家族の関係性>を考える上でのポイントになる。

「マイクと故人である配偶者」、「弥一と故人である弟」という関係性は、「以前、家族であった」というべきなのだろうか、それとも「今も家族である」といえるのだろうか?

この作品を読んだ方なら、「今も家族である」という考えに違和感なく首肯するだろう。

なぜならここで彼らが抱いている「家族」という概念は、物理的な存在ではなく、<関係性>そのものを根拠にしているからだ。

私が以前、このブログで 

ほったゆみ(原作)『ヒカルの碁』を読む。 ~死者は現在する。生者のなかに 

という記事を書いたとき、

『恐山: 死者のいる場所』(南直哉 著)という本から、

死者は実在し、生者と同じく我々に影響を与える。(略)

生前に濃密な関係を構築し、自分の在りようを決めていたものが、死によって失われてしまう。しかし、それが物理的に失われたとしても、その関係性や意味そのものは、記憶と共に残存し、消えっこないのです。

と引用した。

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

 

 死んだ者とも関係性がある限り、つまり「思い続ける」限り、「家族」という関係性は残ったままなのである。

これが『弟の夫』という作品が示す<家族という関係性>である。

『弟の夫』という物語を究極的にいえば、疎遠であった「弥一と故人である弟の涼二」という関係性を、涼二の配偶者マイクが再び<家族という関係性>へと繋ぎ戻す、という物語だ。

そしてマイクは、弥一と涼二を<家族という関係性>へと繋ぎ戻すという「役割を引き受けた」ことによって、マイクは弥一とも<家族という関係性>を結び得ることができたのである。

だから弥一が 「もうとっくになってるよ、家族」とマイクに答えたのは、それは戸籍上の概念ではなく、本心から<家族という関係性>になっている、という意味だ。

『弟の夫』は、物語最後のコマに、3枚の写真が載せられて幕を閉じる。

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「マイクと涼二」「夏菜が生まれたときの弥一と妻夏樹」、そして「温泉旅行で撮った、弥一、夏菜、夏樹と、マイクの4人」の写真である。

この3枚の写真は、彼らが「家族である」という証ーーたとえ「世間一般的な家族」の形とは違っても、彼らは間違いなく家族なのだーーであり、彼らの絆の記録なのだ。     <了>

 

本日のマンガ名言:もうとっくになってるよ、家族

 

追記)他にLGBTがテーマのマンガでは、ふみふみこぼくらのへんたいを以前書いたので、読んでみてください。

ふみふみこ『ぼくらのへんたい』を読む ~変態する思春期  

【告知】文学フリマ東京(11/23 木・祝)参加します。サークル「文化系女子になりたい」(カ-25)

文学系同人誌即売会 第二十五回文学フリマ東京に出展参加します。

 第二十五回文学フリマ東京

日時;11月23日(木祝) 11:00~17:00

会場;東京流通センター 第二展示場 東京モノレール流通センター駅」徒歩1分)

私たちのサークルは文化系女子になりたい」

ブースは「カ-25」2Fの入口から左の列の中盤にあります。

「批評 サブカルチャー」カテゴリのところです。

頒布する冊子はコピー本の合同誌文化系女子になりたい』

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1冊100円です。

内容は、短歌と、文芸マンガと、漫画文学論(漫画批評)の3本立てです。

短歌は私以外の2人のメンバーによる作品、

漫画文学論は私のブログ記事を掲載、文芸マンガは私が書きおろしました。

その他に、本誌に入りきらなかった記事や小冊子を10円~で出す予定です。

絶対に損はさせません、ぜひお越しください! 皆さんとお会いして何か語らいたいです!

『エロ本黄金時代』にみる、伝説のエロ本ライター・奥出哲雄という男の栄光と転落

サブカル度数の高い傑作本を読んだ。

『エロ本黄金時代』(本橋 信宏,東良 美季)。

エロ本黄金時代

エロ本黄金時代

 

タイトル通り、「エロ本黄金時代」である80年代のエロ本の変遷と、エロ本周辺の出版カルチャーを解説した労作だ。

私は85年生まれなので、エロ本カルチャーの洗礼は全く受けていない。私の「知らない世界」なのだが、この時代のこの業界の持つ熱気と”イカガワシサ”は、ものすごく面白いものだったようだ。

本書の内容を紹介したい。

  • 80年代エロ本クロニクル ーー80年代エロ本の変遷と紹介
  • 日本出版歴史のターニングポイント、80年の自販機本の世界 ーー「エロも載ってるサブカルアングラ雑誌」である、自販機本『Jam』は、なんと山口百恵宅のゴミ漁りを載せた(『Jam』については、ウィキペディアに詳しい。 Jam (自販機本) - Wikipedia 
  • エロ雑誌に「AV批評」を持ち込んだ伝説のエロ本ライター・奥出哲雄
  • 『ビデオ・ザ・ワールド』中沢慎一編集長インタビュー ーーサブカル色の強いエロ本。2013年に休刊。写真は撮影するのに金がかかるので、AV批評など文章を多く入れた内容だった。
  • エロ本『でらべっぴん』の英知出版・AVメーカー宇宙企画の社長・山崎紀雄についてのコラム
  • AV黎明期(80年前半)のヌードモデル中村京子インタビュー
  • エロ本デザイナー有野陽一、明日修一インタビュー
  • 不良雑誌『BURST』編集長ビスケンの(エロ時代)インタビュー

 と、エロ本がかつて持っていた「カウンターカルチャー性」を知ることのできる内容。

どの項目も眩暈がするほどサブカル濃度が濃くて面白いので、各項目について詳しくはぜひ本書を読んでもらいたい。

今回取り上げたいのは、本書に取り上げられていた<伝説のエロ本ライター・奥出哲雄である。

奥出哲雄。現在インターネットで検索しても、ほとんど彼に関する記事は出てこない。本書の紹介記事の中にぽつんと名前がヒットするくらいだ。いわば「忘れられた人物」といっていい。

奥出に関する情報で、唯一彼の人物像を書いたネット記事は、奥出に莫大な借金を背負わされた(!)AV男優の太賀麻郎が回顧した記事だけである。

太賀麻郎のブログ 復刻版・消えたハズの日記「奥出哲雄という生き方」2009/5・29

奥出について、太賀はこう書いている。

借金から逃げるような生活の氏は、妻子と相変わらずの別居暮らしで、事務所に住んでいた。

そこで金がないのに伝言ダイヤルにはまり、月に100人もの女の子を食った。

この老獪な妖怪のようになった彼に女の子達は援助交際のつもりで来ていたのに言いくるめられ、逆に説教までされて、若い肉体をむさぼられた。

アロックスの倒産で、氏の髪の毛はすべて抜けおち、体毛もすべて抜け、生えてこない状況の風貌はかなり不気味で、初めて見た人は度肝を抜かれるようであった。

なにやら悲惨な状況である。

しかし、本書を読むと、奥出哲雄は天才であり、間違いなく栄光を手にしていたという。

本書著者の東良美季は、奥出を師匠と仰いでいたようで、本の中で2章にわたって奥出の記事を書いている。

この記事では『エロ本黄金時代』に紹介されていた、伝説のエロ本ライター・奥出哲雄という男の「栄光と転落」を忘備録として記しておきたい。

  • 1950年生まれ、日大芸術学部卒業後、映画界が斜陽なのでピンク映画界に入り、山本晋也監督のチーフ助監督になる。村上龍が撮った映画『限りなく透明に近いブルー』では助監を務め、内トラ(身内エキストラ=スタッフが務める)として地下鉄に乗る三田村邦彦を追いかけてくる警察官として出演。小芝居をして、転ぶ警察官を演じた。
  • ピンク映画の助監では食えず(年収35万、とのこと)エロ本ライターに。まだAVがなかった時代、『オレンジ通信』というエロ本で、ビニ本裏ビデオを自分の足で仕入れ、自ら「オクデ先生」と名乗って紹介。単なる紹介ではない批評精神の高い記事を書く。東良は「奥出がエロ本の世界に批評を持ち込んだ」と評する。奥出はのちに『オレンジ通信』では紙面の6割の記事を書くことになる。
  • アダルトビデオの本格的な批評誌『ビデオ・ザ・ワールド創刊。編集長は、この雑誌はもとより奥出ありきだった(と著者東良は考えている)。この雑誌において取材ものに関しては、奥出の独断場だった。当時は「あの気持ち悪い」という評価であった村西とおるを、同誌で1番最初に評価した。
  • 月産1千枚以上は書く仕事量で、「去年の収入は一千二百万円を超えた。来年には二千万に届くであろう」と記事に書いていた。ワープロがほぼない時代なので右手が腱鞘炎になり、担当編集者が口述筆記していた。
  • 今でいう、大学教授の姜尚中のような風貌で、ニヒルでインテリだった。自身を偽悪的にみせるところがあり、奥さんがありながら、いつも4、5人の愛人がいると公言していた。とっかえひっかえ女性を口説いていた。

エロ本業界の姜尚中奥出のダンディなたたずまいがわかろうというものだ。

大量の仕事をこなし、ライターとして破格の金を稼ぎ、女を口説きまくる成功者ーーそれが奥出であった。

しかしこの後、奥出はAV業界へと転身し、そこから転落の道をたどることになる。

 

  • AVメーカーにディレクターとして関わる。村西とおるが女優とスタッフを引き連れAVメーカー「クリスタル映像」を離脱し、「ダイヤモンド映像」を設立したため、奥出は人員のいないクリスタル映像に移籍。奥出チームはクリスタル作品の半数を占めたという。
  • AVメーカーアロックス設立。しかしバブル崩壊と共に、実質2年で倒産。アロックスの作品の正規盤はあまり売れず、発売後1週間もすると海賊盤が出回っていたという。内部の人間が海賊盤を作っていたという噂もあった。 これにより奥出は借金を背負う。
  • 太賀麻郎の言うように、倒産してからの奥出は髪の毛がすべて抜け落ち、海坊主みたいな風貌だった。
  • 彗星舎というセルビデオメーカーを設立。「薄消し」というグレー(限りなく非合法)なビデオを制作。04年猥褻図画の容疑で逮捕拘留。
  • 太賀麻郎は奥出の借金を背負って自己破産。奥出はその後失踪、現在の消息はわからない。

以上が本書『エロ本黄金時代』から読み取れる、奥出哲雄の半生である。

私は読んでいないが、東良美季は『東京ノアール 消えた男優太賀麻郎の告白』という小説を発表したという。

東京ノアール 消えた男優 太賀麻郎の告白

東京ノアール 消えた男優 太賀麻郎の告白

 

 「AV男優太賀麻郎が、80年代末期~現在を回想する」という内容だそうだ。これがノンフィクションでなく「小説」という形式なのは、事実として書くにはヤバすぎる内容を多く含むこと、そしてあえて取材で裏は取らず、特異な感性の持ち主である太賀麻郎の目からみた世界を書きたいと思ったからだそうである。

この小説の中に「赤木晴彦」という男が出てくる。これは奥出がたまに使っていたペンネームで、奥出哲雄がモデルであり、本記事で述べたような転落を遂げる。「太賀麻郎から見た奥出哲雄」像である。

東良はこの小説を書き終えたあとも、「奥出哲雄」と「赤木晴彦」がうまく繋がらず、まるで「その時々で人格が2つに分裂していく」ようだと述べる。

(奥出の数々のトラブルのせいで)彼を悪く言う人がいる。しかし、僕にはそれが理解出来ない。太賀麻郎から聞いた話を元に『東京ノアール』という長い物語を書き終えて尚、それでも判らないのだ。何故なら奥出は僕にとって、常に限りなく優しい男だったからだ。

かつてエロ本業界には、奥出哲雄というーー少なくとも一人の男にとっては「優しかった」男ーー、一時代を築いたライターがいた。時代と共にに忘れ去られたこの男の半生を、現在に克明に伝えるだけでも、この『エロ本黄金時代』は価値のある傑作である。

極私的女優論:マンガ『私の少年』と、「私の妹」にしたい杉咲花

高野ひと深私の少年というマンガがある。

30歳独身恋人なしのOLが、ふとしたことから美形の少年に、夕方だけサッカーを教えることになることになり、そこから二人の交流が始まるマンガである。そこでは独身OLお姉さんと少年の、親子でもなく姉弟でもなく友人でもなく恋愛でもない、奇妙だが心地よい関係性が描かれる。

 あとがきで作者曰く「これまで男性向けジャンルだったおねショタを、女性向けにしたもの」だそうだ。おねショタとは「おねえさん×ショタ」のことである。(私は「おねしょするショタ」と勘違いしてた。しかし気になるのは、おねショタ読者は、お姉さんに萌えるのだろうか、ショタに萌えるのだろうか?それともショタがお姉さんに甘える関係性に萌えるのだろうか?)

この『私の少年』に出てくる二人ーー30歳独身OLの聡子と、12歳美少年のましゅうーーは、30歳独身OLの聡子は仕事に悩む一般的な女性として、つまり30歳独身女性として一般的な「リアル」に描かれているのに対し、ましゅうは子供らしい純粋さやひたむきさを持った美少年キャラとして、つまり一種の「大人のもつ、<理想の子供>のイメージ」のキャラとして描かれている。

f:id:akihiko810:20171017211246j:plain ましゅう(上)と聡子

私は昔、小学生という「少年」だったので断言するが、ここまで「純粋さ」を持つ12歳の少年は、現実には存在しない。なぜなら男子にとって少年期とは、人生で一番アホな年頃だからである。現実の小学生男子は、友人たちとクラスの女子に「ブス!」と悪態ついてにからかったりする「馬鹿ガキ」か、あるいは少し背伸びして大人ぶった言動をする「ませガキ」である。そこにあるのは輝くような「純粋さ」ではなく単なる「アホさ」だ。

もし、ましゅうのような<大人の考えるような理想の子供>が、実在するとしたら、クラスの大多数に馴染めず実はいじめられてるような、影のある孤独な子供だろう。

いずれにせよこの「純粋な美少年」は、リアルなキャラというより、大人(読者)の妄想を体現する理想のキャラ、といった側面が強い。

ましゅうが「妄想を体現する理想のキャラ」であり、聡子が「リアルなキャラ」ーー私達読者のリアルを投影する役割を持つーーだからこそ、この作品は強い魅力をもつ。

そしてこの作品は聡子というリアリティの上に成り立ち、フィクションでありながら「これ実在するかも」というリアリティある作品として成立している。

さて、私がこの作品を読んだ(既刊3巻まで読んだ)ときの感想は、まず「この出だしは傑作マンガになる予感!」だった。ここからどういう展開になり結末を迎えるのかはわからないがーーまさか、聡子と大人になったましゅうが結婚エンド、なんて陳腐な結末にはしないだろうーー、二人の成長とそこで変化する関係性を見ていきたいと思った。そしてもうひとつの率直な感想、むしろ私がこの漫画を読んでの第一声は「こんなのズルイ!」であった。もう少し詳しく言うと「女性ばっかり美少年に癒されるなんてズルイ!俺も癒されたい!だ。

そりゃオトナの女性(読者)は現実に疲れているわけで、たとえ非現実的でも「純粋な美少年」に癒されたいのは当然だろう。オトナの女性は皆、純粋無垢な美少年に回転ずしをおごってあげて、楽しい時間を共に過ごしたいのである(聡子がましゅうを連れて初めて回転ずしに行くシーンは、この作品屈指の萌えシーンだと思う)。そこのツボを絶妙に押してくるこの作品は、実に目のつけどころがいい。

f:id:akihiko810:20171018022714j:plain ましゅう初回転ずし。これは萌える!

私が「ズルイ」と思ったのは、そこには「性の非対称性」があるからである。これを男女を逆にして、「おじさんが、(親戚でも何でもない)全くの他人である美少女を愛でるマンガ」にしたら、もうこれは完全なフィクションになってしまうのだ。

このご時勢、「おじさん×純粋な美少女」は現実にはポリス沙汰である。それは大袈裟だとしても、そこにはどうしてもーーたとえ男性側に「その気」がなくてもーー見る側には男性側の「下心」がまとわりつく。

もちろんこういう「おじさん×純粋な美少女」設定のマンガは、(私には今の所思い浮かばないが)いくつかあるだろう。しかしそういう作品を「これ本当に実在しそう」なリアリティを提示して、ここまで深い関係性を成立させるのは、かなり困難なことのように私には思える。

私の少年』にも、現実的なリアリティを表す場面として、<聡子が、親でなくただの他人でしかないましゅうの家庭の現実的な問題に対し、何もなす術がないことを思い知る>という場面がある。女性でもそうなのだから、男性が美少女を愛でる物語は夢物語というものだ。

そういう、絶妙で危ういリアリティの上に成立しているのが『私の少年という作品である。

ーーとここまでマンガの紹介をしたわけだが、実はマンガ紹介だけをしたいわけではない。

「俺も『私の少年』みたいに、こういう女の子と仲良くおしゃべりしたい!癒されたい!と思った話を書きたいのである。

先日、CSで湯を沸かすほどの熱い愛』(16)という映画を観た。その年のキネ旬邦画ベストテン第7位、というなかなかの出来の映画であった。

湯を沸かすほどの熱い愛
 

 宮沢りえが主役の母親役で、その娘(たぶん高1)役を、杉咲花が演じていた。

f:id:akihiko810:20171018024618j:plain 銭湯の娘役の花ちゃん

杉咲の演技は上手い。顔立ちは地味ながら愛嬌があり、私の好きな「若い女優」である。

私が彼女を女優として認知したのは、世間と同じく味の素のCMで回鍋肉を食べるシーンを見てだと思う。

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以来ドラマとかで見かけると、存在感あるなぁと思っていたのだが、この映画が公開されたときに、番宣で『しゃべくり007』に宮沢りえと出演した回があった。

杉咲はトークで「『とと姉ちゃん』に出てから皆をくすぐるのがマイブームで…」と言って、ネプチュ-ン原田をくすぐりながら、なぜか

「ウィーィッヒヒヒィー!」と笑い転げていた(逆に、くすぐられている原田が「全然くすぐったくない」と全く笑ってないのにウケた。)

この光景を見て私は、「か、可愛い…」 一目惚れした。

笑い声を文字起こしすると「ウィーィッヒヒヒィー!」である。私は今まで、こんなに珍妙な笑い声をあげなら、ここまで無垢に笑い転げる女性を見たことがない。

f:id:akihiko810:20171018025758j:plain 笑い声が超ヘンでかわいい

その笑い転げる様に一目惚れした。しかしこの一目惚れは、「好き。付き合いたい」という感覚とは違った。私はおそらく、一回りほど杉咲の年上だろう。彼女と付き合いたいというより、妹になってほしいと思った。いや、妹だと近すぎる …親戚のおじさんになりたい。

そう、「親戚のおじさんになりたい」と思った。たまに会ってご飯でも食べながら話をして、そのときに「ウィーィッヒヒヒィー!」と奇妙に笑い転げて、私を癒してほしいと思った。

他愛のない話をしたら、なぜか彼女が「ウィーィッヒヒヒィー!」と笑い転げて、それにつられて私も笑ってしまう。彼女が「くすぐってあげるよ」と言って、笑い転げながら私をくすぐるが全然くすぐったくない、「くすぐったくないよ!」と私がツッコむと、やっぱり「ウィーィッヒヒヒィー!」と笑い転げる彼女 ーーそんな素敵な時間を過ごしたい。

そしたらおじさん、回転ずしでも回鍋肉でも何でもごちそうしてあげるわ。いやむしろごちそうさせてください!な気分である。(とはいえ、杉咲の方が私よりよっぽど金持ってるだろうけど)

 ーーというわけで、マンガ『私の少年』みたいに、「年下女優・杉咲花と一緒に楽しい時間を過ごしたい!俺も年下に癒されたい!」という、私(おっさん)の妄想記事なのであった。

と、ここまで書いて、私の少年』が男女逆になると一抹のキモチワルさが出てしまうことが実証されてしまうのであった(苦笑 さすがに俺もキモイことを書いてるのは自覚しているぞ!)

ところで杉咲花は、今ウィキペディアみたら97年生まれとのことで、現在20歳のようだ。顔立ちが幼いのか、高校生程度にしか見えないけどなぁ。

意外と大人だが、それでもやっぱり恋人ではなく親戚のおじさんになりたい(笑)

そして、肝心の映画『湯を沸かすほどの熱い愛』だが、いじめられている杉咲がいじめに抗議して、教室で下着姿になるシーンがある。

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このシーンを見ても、特に「眼福!」とうれしいわけでも、ドキっとするわけでもなく、ただ「わかったから、とにかく服着なさい!」となぜか保護者のような複雑な気持ちになってしまうのであった(苦笑)

だから私は、これからは杉咲花の概念上の保護者(エア保護者)として彼女を見守っていきたいと思う。もし彼女がお嫁にいくことになったら、エア祝辞を出して泣いてお祝いするつもりだ。 <了> 

 

 過去記事:女優・大後寿々花と、クンニ顔という概念

1年程前に書いた、大後寿々花 についての極私的女優論

イベント「モテる大人のつくり方――アダルトビデオ監督・二村ヒトシに、女流官能小説家・深志美由紀が聞く!」レポ

モテる大人のつくり方――アダルトビデオ監督・二村ヒトシに、女流官能小説家・深志美由紀が聞く!」という新宿でやったイベント(トークショー)にいってきました。メモしたことを公開。

 

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二村といえば、恋愛指南本『すべてはモテるためである』(男向け)、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか 』(女向け)の著書。私は二村の本はほとんど読んでいるはずだ。二村の話目当てに行った。

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

 深志美由紀という人は知らなかったのだけど、団鬼六をとった官能小説家だそうだ。ドMでだめんず好きで、売れないバンドマンを養ったりするのが好きだとのこと。

ところで今のご時世、官能小説って食えるのだろうか…?

花鳥籠 (悦文庫)

花鳥籠 (悦文庫)

 

アダルトグッズ企業のラブメルシーが協賛してたので、参加者全員にバイブと試供品コンドームが配られた(笑

ということでメモ公開。 ざっくりメモとっただけだったのと、イベントから数日たってるため記憶も曖昧なので、完全に正しい書きおこしではないので容赦されたし。

 

二村:自分は演劇をやっていてそこそこ客が入っていたが、スズナリとかで松尾スズキの「大人計画」をみて「こいつらには勝てないわ…」と思った。

そのときにはもうAVの世界に足つっこんでいた。なぜか根拠もなく「俺のセックスはカネになる」と思っていた。セックス好きだったので。ちょうど子供が産まれた時期が、運よくSODが出てきたときで、AV作品でも「痴女モノ」がうけるようになったので、AVで食えてた。…とのこと。

 二村が演劇やってたのは知っていたが、大人計画みて挫折した口だったのは初めて知った。私も大人計画好きなのだが、そういう演劇人は多かっただろうと想像できる。 あとこの講演とは関係ないが、SOD勃興期の話は、本橋信宏 著『新・AV時代 悩ましき人々の群れ』 に収録されていてかなり面白かったので、皆さんぜひ読んでみるといいと思う。 

新・AV時代

新・AV時代

 

〇男性向け編

 深志:私はヤリチンとばっかつきあってた。「感じのイイ馬鹿」が好き。二村とも同意したが、「うわの空な男(自分に100%を注いでこない男)はモテる」。ムーミンでいうスナフキン

二村恋愛工学は敵だが、論理的には正しい。一人の女に執着する男は(二村用語でいう)キモさが出る(恋愛工学でいう非モテコミット)ので、そうならないようヤリチンになるべき、という理論なので。 非モテが恋愛工学身に着けてもキモい。

深志:デートコースからセックスするまでを詳細に練習するヤリチン男がいた。このタイミングで手を繋いでキスして…みたいなのを事前に一人で現場で練習する。部屋は間接照明にお香。普通に考えればこんな男はキモいのだが、実際のデートでは全くキモくなかった。ギラギラ感がなくなるまで練習すれば、キモさは出ないのかも。

二村:男は「多くの女にモテたい」と思えばヤリチンになり、その逆ならラピュタみたく空から落ちてくる運命の女を待ってるような男になりキモい。

モテたいと思う相手がいないのに、男はなぜモテたいと思うのか?社会的に承認されたいとか、男社会のお約束がキモイ。なぜモテたいのか、こういう欲望を持っているのかということを男は考えなすぎ。 逆に女は、「なぜ私はモテないのか」考えすぎ。その時間でオナニーして、いいオーガズムを勉強すべき。男は考えずにオナニーしすぎで、女は考えすぎるくらいじゃオナニーしたほうがいい 。

深志:二村の『すべてはモテるためである』ではモテない男はキャバクラで女性と話す練習しろとあったが、キャバクラの接客は100%ヨイショなので練習にならない。相席居酒屋で練習するくらいがいいのでは。

〇女性向け編

二村:男はモテないことに悩む一方、女の人はなぜあの人を好きになるのかって言う自責の念に襲われる。女は考えすぎ。

女が「支配してくれる男」が好きなのは、「女は主体的になるなという」(二村用語の)「心の穴」を(主に親から)空けられているから。女の人は自主性を持った方がよい。

客席から)女性がモテるようになるコツは?

深志女性は隙のある女がモテる。これは真理。男はやれそうかどうか見てる。実際にやらせなくていい。多数の男をとにかく「食事につれてって」と誘う。…非モテコミットされたら?それが「モテる」ってことでしょ?まぁ、興味ない男にはおごらせておけば?

「うわの空の女」はやれそう感がないので、ヤリチンも手を出してこない。50代のチャレンジャーヤリチンくらい?

二村:意識的にポジティブヤリマンになろうとすると、必ずネガティブヤリマンになって闇落ちする。 メンヘル化する。 自分の中の男性性を自覚するといいヤリマンになれる。

〇モテとオタクについて

参加者のメールより)

女「今までつきあったことがない。恋愛できない自分が寂しい」

男「低収入で自信がない。恋愛願望がない。心配だ」

二村:もし他のことで心の穴が埋まっているのなら別に恋愛しなくていい。恋愛とは他人と出会うことで傷つくことだから。

たとえばオタクになるとか。僕は「自分を確立したインポ」として優しく老後を生きたい(二村は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の主人公マックスを、性欲につき動かされてないインポヒーローだと肯定的に評していた)

他人というものは思い通りにならないものなので、恋愛しても寂しい人は寂しい。相思相愛などこの世にない。「愛し返す」くらいしかできない。

恋愛やセックスを何か重大なものと思い込みすぎ。そういうことを客観視するとうまくいくことが多い

深志:オタクは疑似恋愛。オタクは皆性的。腐女子は皆、アナルアナル言ってるし。

二村:モテの代償行為(逃避)としてオタクをやっていると、キモさが周りにバレてしまうのでモテない。ガチで(つまり「モテるために」でなく)やると、だいたいはオタク仲間ができるので、その中で異性ができることもある。「うわの空理論」と重なる。

深志:ただ、オタクになるのには才能がいる。

二村:元も子もないけどそれで言うと、恋愛も才能

〇その他

 二村:「自分が女性だったら、自分のことを好きになるか?」って言うのがモテるかの第一歩。多くの男はそれを考えたことがない。

 二村:メンヘラ女性ブロガーは客観性がないので小説は書けない(北条かやのことか 笑)

深志:ツイッターのフォロワーに、「宅配荷物の受け取りを全裸でする」フェチの人がいた。包茎ちんぽを女性宅配員にみせる性癖。しかしその人は、包茎手術したらこの欲望がなくなってしまったという。コンプレックスが性癖に影響するいい例。

 二村:乙武は圧倒的自己肯定感のかたまりのような人。だから乙武とセックスしたいと思わない女性はいないでしょ?絶対レイプしないし

乙武については『KAMINOGE』というプロレス雑誌で、前田日明が「性欲、ネゴシエーション能力、コミュニケーション能力、そのすべてが称賛に値する!」と褒めてたのを思い出して笑ってしまった。やっぱ乙武はモテるよな)

 

かきおこし以上。質疑応答では、質問者にバイブやローションなどのラブグッズが配られて楽しかった。

トークショーのあとは懇親会(食事会)だったが、新宿で書店めぐりする予定を優先して参加しなかった。もしこの記事をみた人で、参加した人がいたらどんな話が出てたのか教えてください。

私の感想としては、自分はオタクメンタルなので、現状特にモテなくても辛くないのかなと思った。

「自分が女性だったら、自分のことを好きになるか?」という質問を自分投げかけてみたが、私は「好きな事をやってる女性(=オタクなひと)」が好きなので、自分は「なる」と思った。普段意識したことはなかったが、自分は自己肯定感が高い人間のようだ(笑

あと、「<自分の居場所>のない人」って世の中結構いるのだな、と思った。私は趣味の場では読書会に参加してるし、友人も何人かいるので、精神的にもコミュニティ的にも「居場所」はあるので、その点は安心した。

自身のモテの話でいうと、年齢30超えると性欲衰えるし、趣味とかいろいろやることに忙しくて時間ないし、「複数の女性にモテたい」とは全然思わない。「この人面白いな」って人にピンポイントでモテたい。自分は「非モテコミット」な人間なのだと思った。なのでそのキモさが出ない感じで、気の合う女性にモテたいなと思った。

ということで、私と一緒にバイブでエッチな遊びをしてくれるオタク系の女子とつきあいたいです!誰か私とつきあって!

 

 追記)以前参加した、二村の話のレポ

宮台真司×二村ヒトシ『男女素敵化』講演会レポ in バレンタイン

akihiko810.hatenablog.com