文芸的な、あまりに文芸的な

人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っている(谷川俊太郎)

鎌谷悠希『しまなみ誰そ彼』を読む ~LGBTというマイノリティの生き方と、コミュニティーの可能性を探った大傑作

鎌谷悠希『しまなみ誰そ彼』全4巻。

広島県尾道(おのみち)を舞台に、性と生の在り方を描いた作品だ。

本作は「生き方とコミュニティの可能性」を探った大傑作漫画だと思うので紹介したい。

あらすじ~~~

クラスメイトに、ホモ動画を観ていることを知られた、高校生のたすく。たすくは幼い頃から男性を好きになっていた。周囲から“ホモ”とからかわれるようになったたすくは、自分の性的指向がばれてしまうのではないかと怯え、自殺を考える。そのたすくの前に、「誰かさん」と名乗る不思議な女性が現れた。

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「誰かさん」に言われるまま導かれて辿り着いたのは、「談話室」という集会所だった。「談話室」に集う、空き家再生事業に携わるNPO「猫集会」のメンバー --同性愛カップルや、性転換者、性自認が揺らぐ男の子ーーとの交流を通して、たすくの心に変化が訪れる…。

 ~~~~

田亀源五郎『弟の夫』と同じく、LGBTをテーマにした作品。作者の鎌谷はXジェンダーであることを公言しているらしく、田亀のようにゲイで自身の体験を含めてLGBT問題を描いた作品であることも共通している。

本作では、談話室に集う人々は皆なんらかの性的マイノリティーであり、アウティング問題や、世間の「善意で無自覚の偏見」との軋轢などの問題に直面し、これが『しまなみ~』の物語となっている。

登場人物の背景などはこのブログ記事に詳しい。

『しまなみ~』の面白さは、まず、登場人物たちがそれぞれの悩みと向き合い立ち向かっていく様子にあると思う。

登場人物も自身がゲイであることに悩むたすくを初め、皆が皆、性的マイノリティーであるという悩みを持っている。その悩み、つまり「弱さ」を抱えていることで、非常に人間味がある人物描写になっている。

その人物描写が面白いのはもちろんなのだが、私が面白いなと思ったのは、「談話室」というコミュニティーが、<やさしく>て、そして<ゆるい>つながりでありながら、「結びつきは強い」共同体として描かれていることだ。

どういうことか。まずは<ゆるい>の意味からみてみたい。

<ゆるい>の意味の一つは、「所属するのに資格はいらない」ということだ。

「談話室」にはLGBTの人々が集っているが、そこには誰でも所属することができる。作中でもLGBT以外の人が、空き家再生事業NPO「猫集会」に携わる描写がある(しかしその人は、LGBTへの「善意の偏見」があり、トラブルを起こしてしまうのだが)。

そして<ゆるい>の意味の2つ目は、相手への過度な干渉や期待はしないということだ。誰が入ってきても自由だし、誰が来なくなってもそれもまた自由なのだ。

そしてそんな<ゆるい>コミュニティーでありながら、共同体としての「結びつきは強い」。

「強い結びつき」の例として、作中にはこんなエピソードが登場する。

「談話室」メンバーの同性愛カップルが、同性婚で結婚式をあげることになった。たすくたちも楽しみに行くのだが、式の当日、会場となる「自分たちで再生させた空き家」には、「ホモレズきえろ」と落書きがしてあった。

これを見たたすくは一瞬絶望するが、いっしょに来た友人の椿ーーかつて、自身の同性愛嗜好に気づきながらも目を背け否定していたから、同族嫌悪で性的マイノリティのたすくたちに心無い言葉を投げかけていた同級生だーーが、新婦たちが来る前に率先して落書きを消そうとする場面がある。

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私はこのエピソードを読んだとき、「なんて強い結びつきのある共同体なのだろう」と思った。

「強い結びつき」の共同体となる秘訣は何なのだろうか。

作中にこんな台詞がある。たすくが結婚式に出席することを、親に説明するときに言う台詞だ。結婚する人はたすくにとってどんな人か聞かれて、たすくは答える。

お世話になった人なんだ。 僕に座る椅子を勧めてくれた。

だから、お礼をしたいんだ。

 座る椅子を勧めてくれた、とはもちろん、「自分が自分である場所、居場所をくれた」ということだ。

たすくは同性婚する彼女たち(とそして仲間たち)に恩と感謝があった。だから、お礼をしたいと。

しかし、「恩」と「感謝」だけでは、まだこの「強い結びつき」の理由の半分だけのような気がしてならない。

その根底には、相手への「理解と共感」があったのではないだろうか。そしてこの「理解と共感ーーつまりは相手への想像力だーー」こそが、「<やさしく>て、そして<ゆるい>つながり」でいう<やさしさ>なのではないだろうか。

だからこの作品は、相手への想像力こそがコミュニティーの強度を担保する、ということを示しているのではないかと、私は読んだのだ。

そういえば、社会学者の宮台真司は、「幸せには絆のある人間関係が必要。しかし人間、絆にはタダ乗りができない。社会はいいとこどりができない。絆には、絆コストを払うことが必要」というようなことを、色んなところで言っていた。「参加コストを支払わずに、包摂に預かることはできません。」と。

それならば、想像力を伴った<やさしさ>こそが「絆」といえよう。

『しまなみ~』は、性的マイノリティの人たちが、共同体のもたらす絆によって、自己を肯定していく話なのだ。

<ゆるい>つながりーー誰でも自身の意思で所属出来て、退会できるーーの共同体だからこそできること、というのも示唆的だ。たまたま生まれた地元で強制的に参加させられる共同体(たとえばイスラム共同体)とは違い、自由意志で所属するかしないかを決められる「選択的共同体」の魅力だ。

『しまなみ~』は、私たちがこれからの社会で幸福に生き抜いていくための、コミュニティーの可能性を示した作品なのだと私は思う。

皆さんにも是非とも手に取ってほしい作品だ。これを傑作と言わずして、なんといえばいいのだろうか。  <了>

 

本日のマンガ名言:

お世話になった人なんだ。 僕に座る椅子を勧めてくれた。

だから、お礼をしたいんだ。

 

ぼくの精神病院入院日記 その4

精神病院入院日記、続きの更新に1年ほどかかってしまいましたが、それは飽きたのと、もうほぼ自分のことが出てこないからです。(これ以降意識は元気になったので、自分のことは書くことがない)

とはいえまぁ、人様のことだけど仮名だし載せてもよかろうか、ということで更新します。

去年の4月の終わりごろから2か月半ほど、精神病院に入院してました。 入院理由は、ストレスによる心因性の過剰水分摂取による水中毒でした。 入院中に暇つぶしに書いた日記を、忘備録として載せます。  ※以下出てくる人名は、当然ながらすべて仮名です。

 

5月12日

・一睡もできなかった。「今日は眠れない」というのがもう感覚的にわかってきた。そういうときは絶対に当たる。そしてそういう日は身体が重い。

・朝食に「白つくね」なる練り物が出てきたがクソまずい。ここ2週間以上毎日魚が出てくるし(私は魚が得意ではない)。4日連続酢の物が出てきたのにはブチ切れそうになった。 親にのりたまふりかけを持ってきてもらって、やっと「まとも」な飯になった。今日は昼飯がカレーなので、それを生き甲斐に生きる。

・午前中は病棟停電のためテレビも映らず、食堂の人はまばら。まぁ、テレビがあっても土曜はクソつまんないけど。

・昼飯はカレー。みんな楽しみにしていたようだ。(会話でカレーの話題をしてる人が多かった。)しかし食べてみると、冷めていて決してそこまでうまくなかった。これでもここではトップに旨い飯なのだが

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・よく「倒れる」おじさんがいる。以下、倒れるおじさんとよぶ。1度目はトイレで倒れていたのを私が発見して看護師さんに呼びに行き、2度目は部屋の前で倒れて眼鏡を割ったらしい。 食堂でよく眠ってて、「ここで寝ちゃだめ、部屋戻り」とナースさんに言われてるのをみたので、薬の副作用か何かで眠くなって倒れていたのだろうか。

・この前オセロやった女の子が「いらねーーんだよぉぉ!」と怒鳴ってた。よく(夜ほぼ毎日)泣く女性と言い争いか何かしてたっぽい(私はトイレ行ってて、そこで大声がきこえたので何もわからず)

・同室のA木さんと将棋やった。そこそこ強かったが私勝ち。「薬で頭あんま働かない」と私に負けた人は皆言うが、半分は悔し紛れで半分は本当なんだと思う。(みんな薬のんでるし)。これで、将棋ができる人とはみんな指したかな。一応ここでは私が一番将棋強いようだ。

・同室のN田さんと、夕方テレビをみた。「危険地帯に行く」という番組。麒麟・田村がタイの中華マフィアのボスに会いに行こうとしたところ、警備の警察官が逃げてしまって、結局会いに行かずに逃げ帰ったのはみてて怖かった。土曜の夕方に面白い番組やってるな。

・N田さんが「やることなくて寝るしかない」というので、私のマンガを貸した。

・N田さんも将棋できるとのことだったのでやった。初心者レベルだったので、矢倉を教えた。

将棋おばさんとも将棋やりたかったが、おばさんは外泊中なのでできないのが残念だった。

・夜8時からのドラマが面白かった。面白い番組を発見できるのが(入院中はTVみるくらいしかすることがないから)入院中のいいところと言えるのかな。

 

5月13日

・昨晩はさんざんだった。同室のじじいが消灯の9時半から、11時過ぎまで「あーう~あーう~」「助けてくださいー鈴木さん」(鈴木さんって誰だよ)を絶え間なく連呼し、眠れなかった。10時ごろナースセンターに行ってなんとかしてくれと頼んでも、「ごめんね。口かせ付けるわけにいかないから、何もすることができない」とのこと。それはわかるが、あまりのストレスでもう部屋で寝ることはできなかった。じじいの声をもうききたくないので、暗い食堂(ナースセンターだけは灯りがついている)で本を読んで、じじいが寝るまで(声をあげるのをやめるまで)待つことにした。眠剤が出る時間が10:30なので、せめてそこまでは部屋に入るのはもういやだ、と思った。

ナースは「部屋で寝る努力はしてくれないかな」と私に言ったが、私は「今の間はうるさいのでストレスで戻りたくない」と拒否した。しかし10:20くらいに眠くなったので部屋に戻った。「じじいはもう静かになったのかな」とベッドに戻ったら、じじいはまた「あーう~あーう~」が始まった。

10:40にナースセンターに行って眠剤をもらう。結局11時すぎくらいまでうるさくて眠れなかった。12時前くらいにはじじいも寝たのか静かになった。

じじいはつらいのも(なんかよくわからんがよく痰がからんでる。一人で身体も動かせない)、昼間から寝てるので夜眠れないのもわかる。しかし少しは静かにしてくれんとこっちが眠れない。

結局私が寝たのは12時過ぎくらいだろうが、起きたら3時だった。7時間のうち3時間眠れれば、悪いほうではないか。

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・夜食堂で本読んでたら、別室のじいさんがきて、「寝れるか?俺もう3日寝てない」と言ってきた。「うまくいかないもんだねー」とも言ってた。翌朝じいさんに「眠れましたか?」と聞いたら「半分眠れた」そう。入院患者に不眠の人は結構多そう。とはいえ、薬の副作用で寝てばかりの人も多いけど。同室の2人はそう。

・今日は日曜でシーツ換え。女性看護師さんが、シーツを換えながら「このまま何もなく30才になるとかありえない(彼氏ができない、とかそういう話だろう)。28才以降の誕生日はお葬式と同じ」と愚痴ってた。不規則な仕事だからね。

・イスに座るのから離れると(離席すると)ブザーが鳴る「逆ブーブークッション」があって(離席すると危ないひと用)、さすが病院の設備はすごい。ナースセンターに近い部屋の入り口には、老人、車いす、重病人が配置されている。私も重病のときには部屋入り口の病床だった。

・N田さんと、将棋おばさんとオセロをやった。ともに1勝1敗。オセロやると頭のスイッチが入って読書欲が高まる。というか、オセロでも負けると悔しい。

・昼、「お宝鑑定団」がやってた。タイガーマスク全盛期(二冠のころ)のマスクが出て5、600万かと思ったら1000万円だった。すごい。

・夜、眠剤もらいに来る人(=不眠の人)は私含めて固定してるなぁ

 

5月14日

・昨夜はじじいも静かでよかった。ろくでもない夢を見たと思うが、3,4時間眠れた。

・今日の映画は「武士の一分」だった。

・オセロの女の子がナースセンターで大声出してた。やっぱ精神が不安定なのか?

・食堂の本棚に村上春樹の「多崎つくる」が。誰が買ったのかしらんが読みたかったので、やった。

・風呂入って、看護師さんと実習生が、どの科に入るか話していたので、「看護師はどの科が人気ですか?」ときいたら、「看護師は女子が多いから小児科が人気」とのこと。

・両親がお見舞いに来てくれた。いろいろ持ってきてくれて、ラジオまでそろう。久々にラジオをきく。しかし病室でカーテンを閉めると、電波が入らない?

・母とグラウンドの散歩をした。鬱なのかいつも廊下でぼーっと立ってるおじさんが妻子(可愛い女の子2人)とともに歩いてた。あんた妻子もちなのかい!ご家族もご本人も大変だ。

・将棋おばさんと、平手(後手)で将棋やって負けた。特別な指導(手のゆるめ)はしてなかったのだが。難しい将棋だった。しかし格下に平手で負けると悔しい…。

・将棋おばさんと寝る前に将棋指した。「夜ねれるか」という話になった。「鬱で副自律神経が出ずに、ずっと眠れない」らしい。たまに眠剤もらって1時間くらい眠れるらしい。おばさんは「眠れないから入院してるの」と言い、「眠れないだけで入院ならラクでいいな」ともひそかに思ったが、これは入院して治ってきたからであって、入院する前の鬱はつらかったろうな、と思った。

・将棋おばさんもラジオ好きなようで、文化放送が好きらしい。朝5時~7時の「おはよう寺ちゃん」が毒のあるキャスターのニュースで面白いから聞いてみて、と言われた。 朝起きれなかったのと、イヤホンが壊れていて聞けなかった。

 

ぼくの精神病院入院日記 続きます

第二十八回文学フリマ 編集後記&レポ

 

文学系同人誌即売会 第二十八回文学フリマ東京(5/6)に、 サークル文化系女子になりたい」で出展参加しました。

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ミニコミ文化系女子になりたい 駄目人間について考える号」を300円で、30部頒布できました。初の完売でした。買っていただけた皆さん、ブースに来て下さった皆さん、ありがとうございます!

「駄目人間割引」(駄目人間エピソードを披露してくれたら百円引き)というのをやったのだけど、なかなか好評でした。遅刻がすごい、月に何度かうんこもらす、小学生の時ランドセル忘れて登校したことがある、など微笑ましい(?)駄目エピソードの他、びっくりするようなエピソードを話してくれた方もいました(プライベートなことなのでここには書きませんが)。

文学フリマには、サークル参加して2年くらいなのですが、若干ながら固定ファンもついてくれたようでうれしいです。

それにしても サークル数700、来場者4000人いるだけあって、熱気のあるイベントですね。文学的な「同志」と出会える場で、色んな方の作品に出会えてお話しできるのは楽しいです。思った以上に皆、文学的感度が高い作品書いててすごいと思います。

ただし、金も時間も足りなくて全部回れないことは無念(でも5~6千円くらい買った)!もっと色んな方とお話したかったです。

ツイッターで事前にチェックしていたサークルさんの本はほとんど買えました。ただ、ツイッターで #文フリ東京 のハッシュタグをつけてなかったサークルさんは事前チェック漏れしてて、AV批評の面白そうな本出してるところがあったとか、帰ってから知ることもありました。

『夫のちんぽが入らない』のこだまさんサークルにも、限定300部頒布ということで絶対行こうと画策してたのですが、開始時にはすでに100人並んでたので、自信の出店でやるべきことも沢山あって買うことができませんでした。残念。

それから、できるだけ多くのサークルを回りたいので、同人誌も1500円くらいすると、「絶対に何が何でもほしい」作品でないと買うのを躊躇してしまいます。もちろん私も同人誌制作者なので、この値段である必然性があるのは(原価がそれだけかかっている)わかっているつもりなのですが。

同人誌は一期一会なので、そこらへんが悩ましいです。

それから、読んだ同人誌の感想はツイッターで読者さん当てにつぶやいています。

 

私が載せたエッセイは、カクヨムで読めますのでどうぞ。

両津勘吉になれなかった僕たちと、愛人が12人いるらしい2丁拳銃の小堀

平成で亡くなった遠藤ミチロウに捧ぐ

あと、無料配布用に文芸マンガを10P書いたのですが、これは後日載せます。

 

次回秋の文フリ東京(11/24)も参加予定ですので、ぜひお越しください。よろしくおねがいします。

【告知】第二十八回文学フリマ東京 (5/6 月)参加します。サークル「文化系女子になりたい」(カ-12)

文学系同人誌即売会 第二十八回文学フリマ東京 に出展参加します。

bunfree.net

日時:05月06日(月)  11:00〜17:00

会場:東京流通センター 第一展示場東京モノレール「流通センター」駅)

 

私たちのサークルは文化系女子になりたい」

ブースはカ-12です。

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 (去年の文学フリマの出展ブースの写真)

内容は、「駄目人間特集号」ダメ人間に関する本・映画の座談会とエッセイ、短歌、サブカルチャー評論(漫画論、映画論)です。

1部300円です。その上でツイッターフォロー&ダメ人間エピソードを披露してくれた場合100円割引となるダメ人間割引を実施します。

他、本誌に入りきらなかった描き下ろしマンガのコピー本を頒布する予定(マンガ、鋭意制作中!しかし予定より長くなってしまい終わるのか…)

絶対に損はさせません、ぜひお越しください! 皆さんとお会いして何か語らいたいです!

あと、文フリ東京に出展参加される方は、ぜひコメント欄に「参加するよ」とコメントお書きください。こちらからブースに寄らせていただきます。

映画『若おかみは小学生!』論 ~死の側から覗く、おっこの成長物語

累計発行部数300万部を誇る人気児童文学シリーズの映画化である、アニメ映画『若おかみは小学生!』をみた。去年ネットで「この映画は凄い!」「泣けた!」とかなり話題になった作品である。

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あらすじ。
小学6年生のおっこは交通事故で両親を亡くし、祖母が経営する花の湯温泉の旅館<春の屋>で若おかみ修行をしている。どじでおっちょこちょいのおっこは、旅館に昔から住み着いている幽霊のウリ坊に励まされながら、持ち前の明るさと頑張りで、お客様をもてなしていく…。

評判通り傑作といえる出来だったが、本作は不思議な作品であった。

児童文学らしくおっこの成長譚としてよく作られているが、幽霊の登場によって、物語の最初から最後まで常に「死」が隣に張り付いている奇妙な作品になっている。

「死が隣に張り付いている」、とはどういうことだろう。物語は、両親の事故死から始まる。それに幽霊のウリ坊が峰子(おばあちゃん)を見守り、同じく幽霊の美陽(みよ)が妹の真月(まつき)を見守っている。幽霊が常に登場するのだから、そこに死の匂いがするのはある意味必然なのだが、それだけでは死が登場するという程度で、「死が隣に張り付いている」とまではいえない。

これはやはり、おっこの両親が「夢」としておっこの前に現れること、しかもおっこにとっては現実とシームレス(地続き)に現れるということが大きい。亡き両親の生き生きとした姿が、「はっ、これは夢か……」みたいな描写がないまま、現実と地続きに挿入されるのだ。この描写は、おっこの中では「両親がまだ死んでいない」ことを意味すると思う。唐突すぎる両親の事故死を、おっこは呑み込み切れないまま毎日の生活をしているのだ。

それはおっこが両親の事故死後、ガランとした誰もいないマンションを「行ってきまーす」とさして落ち込みきった様子も見せずに出る場面や、仲居さんが「(両親を亡くして)大変ねぇ…」と泣く傍できょとんとしている場面からも明らかである。おっこは気丈に振舞っているのではなく、自身の状況をうまく呑み込めないのだ。

そんな「両親の死」を呑み込めないおっこだが、ふとしたときに事故のトラウマが噴出してしまう、というのも脚本としてうまい。作中では旅館客のグローリー水領と車で買い物に行ったときに、事故を思い出して過呼吸になっている。おっこには、死が隣に張り付いている。

しかしおっこはおかみの仕事を通し成長することで、その「死」を振り切ることになる。

ラストエピソードで、両親を事故死させた加害者が客としておっこの前に現れ、そこでおっこは初めて「両親が死んだこと」をつきつけられる。その上でおっこは「私は春の屋の若おかみです!」と、自分が「若おかみ」として生きていくことを選び取る。これはおっこの「親離れ」であると同時に、ここに至っておっこは「死」を克服し、「生きる術」を獲得するのだ。

この場面、(夢の中の)両親が「一緒にいられなくてごめんね」とおっこに語りかけるのだが、この場面で我々観客は「亡くなった両親の視点から」おっこの成長をみていることに気付く。つまりこの作品は、「死」が常に隣に張り付いているというだけでなく、観客がおっこの成長を「死の側から」見守っているという構造になっているのだ。

この点が私が本作を「不思議な作品」と評した所以である。

話を戻すと、それと同時に、おっこはウリ坊たち幽霊が見えなくなってくる。通過儀礼(おっこの「死」の克服だ)を終えたおっこは、幽霊たちと別れなければならない。

だが、おっこはこの別れに悲観することはない。おっこはもう、幽霊たちの力がなくとも生きていけるのだから。名残惜しさと共に、ウリ坊の言葉「転生して、きっとまた会えるよ」と共に、おっこが神楽を舞う最中に幽霊たちが消える。そしてそれと同時に物語の幕が閉じる。

 両親の事故で物語の幕が開け、幽霊たちの消失で物語の幕が下がる。物語は「死」で始まり、「死の克服」で終わるのだ。そして大事なことだが、これだけ「死」が物語の通底にあるにもかかわらず、この作品はギリギリのところで暗くはならない。おっこというキャラクターの明るさが全編にわたって出ているので、子供にもうける「明るい児童作品」になっているのが稀有なところであり、この作品の魅力なのである。

児童向けの作品でありながら、「死と成長」を真正面から(あまつさえ、死の側から!)描き、なおかつ魅力的なキャラクターを登場させ児童向けエンターテイメント作品として成立させたのが『若おかみ』であり、傑作と評される理由だろう。

この映画を観た後には児童小説版も読んでみたくなり、またおっこに会いたいと思わせてくれる、すぐれた作品であることは間違いない。 <了>

 

よしながふみ『フラワー・オブ・ライフ』を読む ~「正しくない」からこそ「正しい」、私たちの弱さ

フラワー・オブ・ライフ』(全4巻)、今や大御所とも言ってもいい、よしながふみ少女コミックだ。

フラワー・オブ・ライフ (4) (ウィングス・コミックス)

フラワー・オブ・ライフ (4) (ウィングス・コミックス)

 

4巻のラストを考察してみたい。4巻ラストのあらすじ。

ーーーーーー

高校生・花園春太郎は、同級生の三国とプロの漫画家になることを目指している。

あるとき春太郎は、姉と口論してしまう。姉は勢い余って、「だって、あんたなんて すぐ死んじゃうかもしれないんだから!!」と春太郎に家族が隠していたことーー春太郎が患っていた白血病は治ったものの、まだ5年以内に再発する可能性があること、骨髄移植した患者の1割が5年以内に死ぬことーーを春太郎にぶちまけてしまう。

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姉は春太郎に今まで嘘をついていたことが重荷だったのだ。

春太郎は自分に嘘をついていた姉(と家族)を許すが、勉強をしているときにふと英和辞書にある例文をみつけてしまう。

He died in the Flower of Life.   彼は人生の花盛りで死んだ。

「10%なんてあんまりだ。普通の人の何十倍も何百倍も死にやすいんじゃないか」

春太郎はショックをうけて泣く。

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 一方、春太郎の同級生の真島(ドS鬼畜眼鏡)は、担任女教師のしげる)とつきあっていた。滋が同僚の教師・小柳と不倫恋愛していたところに割って入ったのだ。

しかし真島は、滋がまた小柳とヨリを戻していたことを知る。

真島「どういうことだ。お前と小柳は今、別れていなければならない」

滋「あたしは生身の男と女なの!よりが戻ることもあるの!人間は本当に好きな人がいたって他の人と寝ることがあるの!」

「あたしはこういう女なの それが嫌だっていうんなら、あんたがあたしを捨てればいいじゃない!」

真島はプライドを傷つけられ、ショックをうける。カッターで滋を切ろうとまで考えるが、春太郎が来てなぜか急に泣き出したので思いとどまる。

 

そして2年生になる始業式の日ーー、滋は「私からきちんと別れを告げよう」と思う。別れるか別れないかを真島に決めさせようなんて、これまで私が小柳にされてきたことと同じだった、と。

春太郎は、同じく漫画を志す三国に、今は言えないが、1割の確率で再発するかもしれない、死ぬかもしれないということを、いつか告げようと思う。

「こうしておれは初めて友達に言えない秘密を持つことになった 高校2年生の春」

 それぞれの Flower of Lifeーー人生の花盛りは、これからも続くのだ。

 ------

この作品の主人公は春太郎だが、4巻のラストは誰が主人公とはいえない、群像劇のようになっている。この場面に限って言えば、春太郎、滋、真島の3人が主人公格といえる。

本稿では、滋(と真島)にしぼって考えてみたい。

滋は、世間一般の価値観に照らしてみれば(この話に限ってみれば)、ダメ人間と言われても仕方あるまい。何せ自分の「男関係のだらしなさ」を棚上げして、真島へ責任を転嫁しているのだから。

しかしたしかにダメ人間であるが、滋が真島に対して言う台詞は、一方で真実でもある。

「あたしはこういう女なの それが嫌だっていうんなら、あんたがあたしを捨てればいいじゃない!」

たしかに捨てればいいだけなのだ。これに関しては滋は正しく、真島は正しくない。

滋のこの言葉は苦し紛れにとっさに出てきた言葉かもしれないが、この言葉によって「正しくない」滋を、「実は正しい」ものへと反転させたのだ。しかしこの「正しさ」はもちろん、見かけ上のまやかしに過ぎない。

一方で、真島は滋の「正しくなさ」を裁こうとするが、滋がとっさにみせた「正しさ」に狼狽し、振り上げた拳を下すことができずに、カッターで切りかかろうなどという蛮行に及ぼうとする。

真島は<正しくない>滋を裁こうとして、逆に自らが裁かれてしまったのだ。

この「正しさ」を振り回したことによる関係性の反転に、文学性があると私は考える。

なぜ真島は滋を裁けなかったのだろうか。それは滋を裁こうとした真島も、滋と同じく「正しくない」人間だったからである。いや、正確に言えば、「自らの正しくなさ」を自覚していない人間だったからである。

真島は何が「正しくなかった」のだろうか。この場合で言えば、真島が常識を過信していた(男女がつきあえば、他の男とはもうつきあわないと思い込んでいた)ことだろうか。いや、もっと言うならば、「正しさ」そのものへの過信が正しくなかったといえるのではないか。

簡単にいえば真島は、人間は、正しくあるにはもろすぎる、ということを知らなかった。人は意図せずして間違えるし、場合によっては意図して間違える(滋の「正しくなさ」は「意図して間違いを選んだ」ことにある)こともある、ということを。

滋が「正しくない」のに「正しい」のは、「自らが正しくない」ということを自覚していた一点にある(滋が自らの正しくなさを自覚していることは、「あたしはこういう女なの」という開き直りの台詞から明らかである)。自身のもろさ、弱さを自覚しているからこそ、ひいては人間のもろさを知っているのだ。

話を春太郎の姉に変える。彼女は弟の春太郎を傷つけた。彼女もつまり弱い人間ーー正しくない人間ーーだったからである。そして春太郎は、そんな姉を許した。「そして分かったんだ ねーちゃんが今までどんなに辛かったか きっと俺がねーちゃんだったら、とっくに我慢できずに俺にホントの事を言っていただろう」という言葉と共に。春太郎も自らの弱さ、正しくなさを自覚する人間だったから、許す(赦す)ことができたのだ。

人は「正しさ」よりむしろ、「正しくなさ」で成り立っている。そして「正しくない」ことを自覚してこそ「正しい」ふるまいができるようになるのではないだろうか。

フラワー・オブ・ライフ』の4巻のこの場面は、人の弱さ(正しくなさ)を正しく描いた名シーンだと私は思う。 <了>

 

本日のマンガ名言:

あたしは生身の男と女なの!よりが戻ることもあるの!人間は本当に好きな人がいたって他の人と寝ることがあるの! 

第二十七回文学フリマ東京 編集後記&レポ

文学系同人誌即売会 第二十七回文学フリマ東京(11/25)に、

サークル文化系女子になりたい」で出展参加しました。

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ミニコミ文化系女子になりたい 旅について考える」を300円で、26部頒布できました。買っていただけた皆さん、ブースに来て下さった皆さん、ありがとうございます!

今までは製作費の観点から、コピー本を頒布していたのですが、4回目の出店にして初めて印刷所での製本でした。

そのため300円という値段になってしまったのですが(それでも1冊の原価340円なので赤字設定)、30部ほど頒布できてうれしいです。

それからブログ読者の方も購入しにきてくれてうれしかったです。もっとお話ししたかったのですが、時間がなくてお話しできなかったのが残念です。

もし、このブログを読んでる方で「文化系女子になりたい」を購入してくださった方がいましたら、コメント欄にコメントください。

 

それにしても文フリって楽しいイベントですね。未知のであいがありますから。今回は楽しすぎて同人誌を6千円ほど購入しました。散財したなぁ…と思ったのですが、どの同人誌も面白いので後悔はしてません。むしろもっと買いたいなぁと思ったのですが、当然お金に限界があるのです。安く手に取れるZINEやフリペにはとても助かりました。サークルさんがもっとフリペ出してくれればいいのに…。

読んだ同人誌の感想はツイッターで読者さん当てにつぶやいています。

 

 

私が載せたエッセイは、カクヨムで読めますのでどうぞ。

埼京線快速で思う、こじらせ女子と仏教の話

第1話 - 埼京線快速で思う、こじらせ女子と仏教の話(@akihiko810) - カクヨム

本当は文芸マンガ描いて載せるつもりだったのですが、締め切りまでに思い浮かばず描きあげることができませんでした。すみません。マンガ描くのは難しい。

 

最後に、サークル文化系女子になりたいはメンバーをゆる募(ゆるく募集)します。埼玉県のさいたま市(浦和)で、文学フリマに向けてミニコミを作るサークルです。さいたま市の読書倶楽部のメンバーで作ってるのですが、もともとは私が「文化系の友達がほしい」と思って友人と作ったのがはじまりです。今メンバーが3人いるのですが、1人あたりの製作費を下げたい、もっと誰かと仲良くなりたいとの願いでもう少しメンバーがほしいと思っています。

興味ある方はぜひ連絡ください。(というか、同人誌に興味ある方はぜひ自分で作ってみると楽しいですよ!)